『この対話会には、最初から決まった目的がありません。
テーマも決まってません。
誰が講師で、誰が参加者で、という区別もありません。
この場にいる全員の方が貢献する場だと考えています』
今年から、対話に共感下さる方々と共に、こんな対話会を京都で始めた。
冒頭のメッセージは、その対話会の説明でよく使っているセリフだ。
先日、赤木が東京へ行くのに便乗して!?、親しい人たちに声をかけて、私とアッキーとで、東京で対話会をしてみた。
13:00から17:30までのロングランであったが、あっという間に時間が過ぎた。
秋の訪れにふさわしい、実りの多い対話の場となった。
まさに、私たちが目指していた -参加者全員が、気づきに貢献しあう場- が形成された。
↓ 参加者からの提案で、キーワードをホワイトボードに書いてもらった。
ホワイトボード1
具体的に何が話されたのかは、ここでは割愛するが(第一、言葉で明確に覚えているのも少ないし)、私にとって、印象に残ったキーワードが一つある。
不確実性 -
人は不確実なものに不安を感じる。確実なものに変えたがる。
言葉に書いてみると、ありふれた印象を与える。
が、実際の対話の場では、生々しい実感が伴なう言葉なんだが・・・私の筆力では、その空気感が表現できず、残念。
ただ、自分と照らし合わせてみると・・・確実を求め、不確実を埋めるための行動は、いくらでもやってる。
その一方で、不確実を楽しめるゆとりも出てきた。
この対話会のコンセプト自体は、不確実なもので成り立っている。
『えっ、テーマも目的もなしに、本当に対話って成り立つの?』
そんな風に問われることも多い。
セミナーやワークショップは、最初から「参加者が何を得られるか」が明確である。だからこそ、安心して受講することができる。
今流行りのワールドカフェなども、参加者同士の対話をベースにするとしても、必ずテーマが決まっていて、そのテーマに沿って対話する。
それに比べて、「この対話会に出て、何が得られるのかは、あなた次第」とある意味開き直られたら!?・・・不安に思うのも無理はないだろう。
少し補足すると、
全く目的は無いとはいえ、対話会を開いている目的そのものはある。
そして、対話のルールも冒頭でお話するので、100%不確実なものではない。
しかし、その日の対話の流れは、参加者に身を委ねているので、セミナーやワークショップに比べて、不確実性は格段と上がる。
私たちファインネットワールドは今まで、セミナーやワークショップを多数主催していた。そして、これからも続ける。
参加者が何が得られるのかが明確に用意されているセミナーの方が、参加者にとっても安心である。事業という面でも手堅いだろう。
それでも、私たちは徐々に、対話の方向へシフトしていくのは明らかである。
なぜなら・・・
確実性が強ければ、得られるものも安定する。
予定調和は安心を生む。
だから私は、いつも決まった味が出てくるチェーン店のレストランに、
その点で不安を感じることは全くない。
しかし、しかしだ。
予定調和では、その枠を超えたものが得られにくい。
この対話の会は、シェフがその日に仕入れた素材のみで調理していくようなものだ。
『何かモヤモヤしている、何か分かりたいことがあれば、お話下さい』
対話の場で、そんなメッセージを伝えることもある。
しかし、参加する前に、対話を通してハッキリさせたかった事が、明らかになるかどうかは分からない。
むしろ、モヤモヤを出してみると、それとは直接関係ない、予想だにしなかった気づきが得られることも多々あるのだ。
『この対話会で何が得られたか・・・今は言葉で言えないんですが、
心に種が植えられた気がします。
それが何か、これからの日常生活で徐々に分かってくる気がします』
対話会参加者の感想は、このようなメッセージが多い。
私たちが関わる対話会は、決してその場で完結しない。To Be Continue なのだ。
そこで得た気づきの種が発芽がするのは、家庭や職場かもしれないし、別の対話の場かもしれない。
さらに言えば、発芽するかどうかさえ、不確実だ。
私にとって、それが面白い。ちょっと変わってるかもしれないが。
不確実だからこそ、未来のレンジが広がる、そう思っている。
「不確実性」というキーワードも、東京対話会に参加頂いた方々の中で創発したものだ。
思いがけず、対話会のコンセプトと結びついた。
こんなキーワード、自分ひとりでは思い描くこともないだろうし、私にとっての重要性にも気づかなかった。
ありがとう。








