今、日本では3日に一度の割合で、子供が虐待死していると言われている。
先日も、幼児遺棄事件が大阪で起こったところだった。
こういう事件が起きると、マスコミはセンセーショナルに取り上げる。
耳を覆いたくなるような内容も多く、胸が痛む。
一児の母として、幼児虐待については、色々と思いを馳せる部分があるが、今回は幼児虐待をめぐるマスコミの報道について、私なりの考えを伝えたいと思う。
確かに、ここ数年で、幼児虐待のニュースは目に見えて、増えているような気がする。
恐らく昔、私が子供だった頃も、今でいう「虐待」というものは存在していたと思うが、それは「ファミリーシークレット」として闇に葬られ、公の目に晒されてなかったのだろう。
こうやって、大々的に報道されることで得られる利点は、確かにある。
闇に葬られていた部分が、報道によって認知されることとなった。多くの人が問題意識を持った結果、児童相談所への通報が増えたと聞いた。
もちろん夜泣き程度での通報といったものもあるが、通報によって助かった命もきっと多いだろう。
そういう意味では、報道による抑制効果はあると言える。
ただ、こういう報道には、抑制効果とは全く逆の、大きな功罪がつきまとう。
一番怖いと私が感じるのは、事件の報道をすればするほど、結果的に多くの人に刷り込まれてしまうことだ。
「親は子供を虐待することもある」
繰り返し、繰り返しその行為をTVという媒体で、五感に強く訴えるということは、その作法を教育しているようなものである。
「みんなもしているから・・・」「私だけではない」と、無意識下で、ある種の免罪符を与えてしまうことにならないだろうか。
このような報道を、全面的に否定している訳では決してない。
が、有名人の自殺報道の後、連鎖的な自殺者が増える傾向と同じものを感じる。
もし、このような報道が殆ど無くなったとしたら・・・
いや、「幼児虐待」という概念や言葉すら、この世に存在しなかったとしたら・・・
それが良い/悪いと見做す前に、そもそも「そんな行為がこの世にある」ということさえ、思いつかなかったかもしれない。
ただでさえ、言葉は概念を創る。世界を創る。
繰り返し耳にする言葉は、自分の意思とは関係なく、無意識化で影響されていく。
残念ながら、マスコミがセンセーショナルに煽らずに、視聴者への影響も考慮した報道の仕方をしているとはあまり思えない。
が、受け手の私たちは、送り手が変わるのを待っていても仕方がない。
そして、報道番組のコメンテーターのように、「身勝手だ」「親として失格」と一方的になじるだけでは、何も変わらない。
私個人としては、こう受け止めたい。
私の中にも、彼らがいる。
彼らが起こしたことは、私にも責任の一端がある。
これはホ・オポノポノのスピリットに通じるところがあると思う。

最初、ホ・オポノポノの書籍でヒューレン博士のこのような考え方に触れたとき、「そうは言ってもねー」と抵抗してみたものの、やはり行き着くところはココしかないと、実感するようになった。
それを踏まえて、ホ・オポノポノの教えのとおり、唱えてもいいし
私は今回、ほんの小さなことでも、自分に何か出来ることはあるだろうか・・・と考えてみた。
もちろん、彼らがしたことは決して許されることではない。
しかし、少なくても傍観者となって、対象者を責めるだけでは・・・自分すら救われない気がして仕方がない。
マスコミは良くも悪くも、人々の思想形成に大きな影響を与える。
そのパワーを良い方向に利用すれば、人々のさらなる意識進化に導くサポートも出来るかも・・・と思うんだけどなぁ。
そうしたら、もっとTVを観るかもね。
(普段、子供番組以外は観ないので、地デジ対応TVすら、まだ買っていないし)
※今回の問題について取り上げたLilyさんのブログ。
加害者の母親に対して、そしてお子様に対する優しい気持ちに
私も涙があふれました。

‘育児’ カテゴリーのアーカイブ
虐待報道について思うこと
2010年8月5日 木曜日2歳なう
2010年3月3日 水曜日

雛人形
今日は雛祭り。気分を変えて、久々に子育てネタを。
この雛人形を買った頃は、まだ0歳で歩けなかった娘も5月で3歳になる。
2歳までの出来事は殆ど顕在記憶に残らないと言われるが、3歳以降は徐々に「物心」がついてくる。
あぁ、子供の成長って早いわ。
2歳児との生活は、バラエティ番組のごとく、どこかギャグっぽくて可笑しい。
そんな娘の「2歳なう」をお伝えしよう。
1.何でも「自分デッ!」したがる。
これは自我が芽生える2歳児の特徴だそう。
とにかく、何でも自分でやりがたる。
・・・というと、さぞ自立精神旺盛で、大いに結構と思うかもしれない。
が、そんな微笑ましい情景ばかりではない。
むしろ「勘弁してくれぇ~」と叫ぶ場面の方が多い。
例えば・・・
出掛けるときに、玄関にお気に入りの靴を揃えておいてあげる。
それをみた娘は激怒! わめきながら、靴を地面に叩きつける。
「自分デッするの~!」
地雷はココにあったよう。
ゲタ箱から「自分で」靴を選び、「自分で」履きやすい位置に持っていきたかったよう。それが叶わず、逆鱗に触れた。
お風呂上りの着替にしてもそう。こっちがうっかりと、シャツに体を通してあげた後、ハタと地雷に気づく。
「ママはダメ!」と、風呂上りの顔をさらに赤らめながら、シャツを脱ぎ捨てる。
そして、律儀にも着替え直してる。うまく袖が通らないので、手を添えてあげると、「ダメ!」と、容赦なく、手を跳ねのける。
うーん、何故にそこまで抵抗するのじゃ。
私だったら、主人に服を全部着せてもらえたら、この上なく嬉しいけどなぁ。
他にも、とても高いところにある物を、自分デッ取る!といって聞かなかったり
挙句の果ては、パパのように、自分も車の運転をしたい! と強引に運転席に行こうとする。
時間がない時に、自分で出来ないことを「自分デッ!」と主張するのは勘弁してほしい。
2.とにもかくにも 「自分ラブ」
写真やビデオで、自分を観るのがとにかく好き。
毎晩、寝室に行くと、「ケータイでとって」と、スリスリねだる。
録画後すぐに、自分の踊っている姿を携帯で観るのがお約束。
すっかりご満悦に浸っている。
先日、携帯のメモリが減ってきたので、「今日は録画しない」と言ってみた。
案の定、ギャーギャーと、泣きながら抗議してくる。
それならば、とその様子を動画で撮ってみた。
後で一緒に観たが。
何と! 泣いている自分を観て、ケラケラ笑っているじゃないか!
しかも、何度も再生ボタンを押して、楽しんでらっしゃる。
他にも、保育園での生活発表会DVDなどは、擦り切れるほどの勢いで観ている。
私ほどの年齢になると、自分が写っている動画は恥ずかしくて目を伏せてしまうが・・・
・・・とまぁ、微笑ましいながらも、「モーモー」と牛になることが多い毎日。
定期的に送ってくる「しまじろう」のダイレクトメールに、 「自分デッ!」は、3歳頃には落ち着いてきますよ~ と書いてあった。
娘をみていると、一向にそんな気配が見えないんだが・・・どうだろう?
とはいえ、3歳に近づくにつれ、「成長したなぁ」と実感することも増えた。
一人で遊ぶ時間もやや増えてきたし、何といっても、オムツが取れてきた!
以前ブログで、進まないトイレトレーニングについて書いたが、今年に入ってから、自ら進んで便座に座るようになったのだ。
今もオムツは併用しているが、濡れることがかなり減った。経済的にも助かってる♪
そんな「2歳なう」である。
「3歳なう」は、どんな風になるのかなぁ~。








