先週末、山崎啓支さんのセミナー「NRT」ステージⅠを受講した。
いつもは山崎さんのセミナーを主宰する立場であったので、全くのいち受講生として学んだのは、5年ぶり。何だか感慨深いなぁ。
とはいえ、あまり何も考えず、ほのかな期待をスパイスにしながら、ステージⅠに挑んだ。
NRTは、山崎さんが長年開発して、ようやく昨年からリリースを始めた新プログラムである。
そこでの学びはシンプルで、かつ、深淵なもの。
が、どんな内容で、どう素晴らしいのか、言葉で伝えようとすると、肝心なところが抜け落ちてしまう。
なので、興味を持った方はNRTのサイトを見るなり、説明会に足を運んで頂くといいかと思う。
ここでは、私の受講体験を通して得た、個人的な学び・気づきについてお話する。
その前に少しだけ、あくまでも、私のフィルターを通して、NRTで学んだことについて説明してみよう。
本来の自分に戻るのがその目的だが、本来の自分で生きることを妨げるものに誤魔化されながら、私たちは生きている。
何が、私たちの目を曇らせているか?
「~あらねばならない」「◯◯である自分」「~ではダメだ」
過去からの記憶によって創り出された考えや価値観が、私たちを惑わせている。
驚くべきことは、自分を縛りつけている価値観だけでなく、心地良い、世間的にも良いとされている価値観も全て、目を曇らせる要素となるのだ。
全ての価値観や思考から離れて、瞬間瞬間に立ち上ってくる 生の自分を思い出し、戻ることによって、どこにも負荷がない豊かな自分になれる。
こう書くと、悟りに近い状態をイメージする方もおられるかもしれないが、それとは違う。
この世のどこにもない、二度と再生も出来ない。
悠久のときが流れゆく中の、その刹那に生成された自分を体験する・・・
あえて言葉にすると、そんな感覚だろうか。
うーん・・・文字にはするのは難しいねぇ。
では、現実に何が起こって、何に気づいたかをお伝えする。
ステージⅠの最終日に、私は山崎さんから、ワークを受けた。
私はときどき、駄々をこねる娘に対して、どうしようもなく怒りを感じることがある。
それはもちろん、私の中の抑止する力(手を出してはいけない、という思考)が働いて、手を出すというところには至らないが、時々、背筋が凍ることさえある。
この気持ちは何だろう・・・どこから来るのだろうか。
「良い母親であらねばならない」「子供をしつけなければならない」といった、無数の価値観が、私の中に蠢いているのは感じていたが、それだけでは納得できないものがあったのだ。
NRTの受講が進む中で、ふっと思い出したことがあったのだ。
以前、ブログでも書いたことがあるが、私は娘の出産後、ひどく精神的に落ち込んだことがあった。
「子供を産むんじゃなかった・・・」
それは、ホルモンの変化による産後うつだったと、レッテル貼って、終わらせたつもりであった。
しかし、それは間違いだった。
ただのマヤカシであり、単に、抑圧しただけであった。
それが娘に対して、イライラを募らせる大きな親玉でもあった。
それをワークのテーマにはしたが、具体的内容は何一つ語ることのないまま、ワークが進んでいく。
私の様子を注意深くみながら、山崎さんがゆっくりと誘導していく
「もっと深く感じて」「もっともっと強く感じて」
怖かったけど、あの時の状態を思い出し、深めていった。
子供を産んだ・・・その事実を現実として迫ってきたとき。あの瞬間。
喜びどころか、怖くて仕方がなくなった。
重たかったのだ。
一人の人間の命を 突然託され
自分の存在がどうしようもなく その人の人生に影響を与えてしまうこと
その重さに
耐えられなくなったのだ。
今までは、自分のことだけを考えれば、それで良かった。
そんなお気軽な人生、もう時計の針は戻らない。
これから人生をかけて、子供を立派に、一人前に育てていかなければならない。
天から任された任務から、逃げ出したくなったのだ。
こんなことを思ってしまう自分に怖くなり、産後で、精神的にもそれ以上の負荷は、耐えられなかったので、それ以上感じることをとめてしまったのだが。
それは消えて無くなったのではなかった。
娘に対する言いようもないイライラは、強烈に抑圧した思いが、時々顔を出した結果だった。
山崎さんのエネルギーに包まれながら、あの時、中途半端で引き返した思いを、もう一度さらに深めていった。
本当の本当に、怖かった。
逃げ出したかった。
誰かに助けてほしかった。
震えがますます止まらなくなった。
あふれる涙を止める術もない。
震えが絶頂にきたときだろうか・・・突然、光がみえた。
「あれ・・・」
怖い感覚が、ほんとうに突然、終焉を迎えた。
静かな心地が広がっていった。
そして、何も思考が戻ってこない。
あの震えはどこへ行ってしまったのか。
あんなに抵抗していた「恐れ」ととことん向き合い、感じきってしまったら、いつの間にか
素っ気ないほど何もなくなってしまった。
静かな豊かさが広がっていく。これが山崎さんがいう「本来の自分」なのだろうか。
分からないけど、私にとってはそうだと思う。
ステージが上がってしまったとか、一段高い境地に立ったとか、そんな感覚では全くない。むしろ、懐かしい感覚であり、いつも隣にいたような、なじみのあるもののよう。
あのとき、私を引き止めたもの。それは
「子育てが怖い、イヤだと思う、そんな母親」に自分がなることを、私はどうしても許せなかったのだ。
その価値観が、私を抑えこんでしまった。
そんな思いを野放しにしてしまうと、ソレに呑み込まれるんじゃないかと、心のどこかで恐れていたのだ。
しかし、目を背けたかった価値観・思いを、全て解放してみると
全くどうってことなかった。
「子育てがイヤ」「逃げ出したくなる」
そんな思いに乗っ取られることなんて、恐れからくる幻想に過ぎなかった。
「子供を愛せない母親」だけでなく、「子供をこの上なく愛する母親」も含めてだけど、それらは所詮、本来の私ではない。
どちらの価値観とも、自分を引き離してみると、ほの暖かく、いつまでも途切れない愛情が綿々と湧いてくる。
本来の自分、自然に生成される自分は、思考にも、感情にも負荷がかからない。
それが、娘に対する、いや生きとし生けるもの全てに対する、ごく自然な愛情なんだと実感した。
そして、NRTが終わって2日経つ。
もちろん、いつも、いつもそんな自分でいられる訳ではない。
また、本来の自分はこう、と一端決めてしまうと、単なるイメージが増えるだけ。
そこが、ちょっと難しいところなんだけど・・・
しかし、本来の自分を体験するのと、しないのとでは全然違う。
また慌ただしい日常生活の中で、価値観に汚染されたまま右往左往をするんだろうが
帰る場所--故郷がすぐソコにある- それが分かるだけで、随分違う。
私はステージⅠしか受講していないけど、NRTは多くの人に体験してもらいたいなぁと純粋に心から願う、数少ないセミナーであった。




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