最近、シリアスなテーマが続いてたので、今回はライトでウフフなネタを。
『一応、結婚の話は出てるんだけど・・・いつ、結婚するんかなぁ~?
本当にするのかなぁ~、分からなくてぇ』
先日、久々にランチを一緒にした友人が、笑いながらこう語った。
両親にお互いを紹介しているし、お互いにその気はあるのは間違いないが、ソレ以上の進展はないそうだ。
私はパスタをほおばりながら、思わず口走ってしまった。
『そんなん、どっちかが押し切らないと、決まらないでぇぇ~』
そう。これは、経験から言ったセリフなのだ。
あれは、もう9年前。
「結婚しようか」
付き合い始めて数ヶ月で、彼はプロポーズしてくれた。
あぁ、天にも昇る気持ちになった。ブラボー♪♪
このまま両親への紹介、顔合わせ、式場決定など、コトがスムーズに運んでいくものだと、その時点では信じていた。
ゼクシィまで買っちゃったよう。
・・・なのに、それから数ヶ月、何も進展が無かった。
彼の気が変わったという訳ではなさそうだが、「じゃあ、いつ?」と尋ねると、曖昧な返事で、はっきりとしない。
放置プレイされてしまったのだ。
「なんか、結婚を急かしたら、彼にプレッシャー与えるかもしれないしぃ~。
それって、なんか重くない?やっぱ、その気になるまで待とうか」
たぶん、20代の私だったら、妙なプライドもあったりして、彼の前で余裕な素振りをしてたかもしれない。
「別にぃ、結婚焦ってないしぃ、もっとしたいことあるしぃ」
が、30代に突入していたからかどうか分からないが、宙ぶらりんを許容する気にはなれなかった。
「だって、結婚したいじゃん! それが何か?」
ある意味、開き直った自分になっていたのだ。
ある日、思い切って、問い詰めてみた。
『なぁ、いつ結婚するの? そろそろはっきり決めようよ』
『いや、俺はまだ独立して間がないし、安定してから考えるわ』
なにぃ~!!
私はブチ切れた。
『あなたの仕事って、自営業って、いつ安定するの? 一生安定せぇへんのとちゃう?!!!』
ウググ。彼は、次の言葉が出なかった。
なーんか、追い詰めた感じもしたが、
結果的に、このセリフがシュートを放ったようだ。
「そうやなぁ~、
自分の仕事は確かに、一生安泰ってことはないなぁ~。」
彼は覚悟を決めたようだ。
その後まもなく、私の家に挨拶に来てくれることを、ついに承諾した。
それからは、とんとん拍子にコトが進み、半年後に鐘を鳴らすことが出来た。
この4月で結婚8年目を迎えたが、あの時、私が曖昧を認めていたら、「現在」は変わっていたかもしれない。
ゴールインはさらに先だったかもしれないし、立ち消えになった可能性すらある。
全てのケースがこのような結果になるかどうかは別として、私の場合は、素直に自分の欲求を伝えて良かったと思う。
周りの友人たちをみていても、女性が結婚を押し切るケースの方が多いかな
なぜだろう・・・??

‘夫とのこと’ カテゴリーのアーカイブ
私が結婚に追い込みました(笑)
2010年6月17日 木曜日ハッピーエンドにならない夫婦喧嘩の行方
2010年2月23日 火曜日
どうも最近、あいまいなもの、すっきり感がないものをどう受け入れていくか-そんなレッスンを受けている気がする。
そのレッスンは、怒涛の夫婦喧嘩という形で突然やってきた。
我々夫婦は、実に色々なことを話しあう。
昼夜関係なく、子供がいる傍らであっても、思い立ったら吉日という勢いで。
先週末も仕事中に突然、私が「あること」について熱弁をふるった。
彼がウンウンと理解してくれるものと思っていた。(密かに期待していた)
が、彼の価値観と合わないのか、同意しかねる、というエネルギーが蔓延していた。
そうなると、私もさらにヒートアップする。
「意見と自分」が同一化してしまい、否定されるとムキになるという構図に陥った。
私は同意を求めている訳でない、ただ私の言う事を理解してくれるだけでいいと訴えたが、「なぜ、理解を求めるのか?」という反論をくらった。
そこからは、まぁ泥沼化となり、収集がつかなくなった訳だが・・・
彼もちょっと折れて、「アミーゴの言いたいことは理解した」とは言ってくれている。
が、そこから伝わってくるエネルギーは、「理解はしたけど、同意はしてないもんね!」というものだった。
メラメラ燃える怒りの火を感じながらも、私の心の動きに目をとめてみた。
何を望んでいるのだろうか。
そりゃ、一番分かりやすい着地点は、同意だろう。
「うん、アミーゴの言う通りだね!」と。
私が青色なら、彼を青色に塗りつぶすこと。
意見と自分がガッチリと手を結んでしまったら、その欲望に乗っとられそうになる。
でも、それはどこまでも不毛なことだと、どこかで分かってる。
分かってる。
うーん。でも、なーんか、スッキリしないなぁ。
何だかモヤモヤして、懲りもせず疑問をふっかける私だが、いくら話を重ねても、交差しない感じ。
青と白のチューブの色が全く混じりあわない、クリアクリーンのよう。
平行線をたどってて、水色になることは無かった。
うーん。
ここで思いとどまってみた。
夫婦といえども、人間はそもそも価値観が違う。
同意を強く求めすぎること、それを価値証明と結びつけてしまうことが、諸悪の根源ではないかというのが、最近の私の持論である。
そりゃ、のど越しスッキリの方が後味はいい。
白黒はっきりの方が、心にも脳にも優しそうだ。
が、あえて、この後味の悪さを受け入れてみようじゃないか、と思い直してみた。
モヤモヤしている気持ちは残るが、それを抱えたまま
「スッキリしなければ気持ち悪い」というのを手放してみようと。
曖昧なものを受け入れるのは、ややハードルが高い。
が、「すっきり感」を手放してしまえば、逆説的だが、すっきりとした。
「意見はぶつかりあっても、最終的には双方が納得いくまで話し合う方がいい」という価値観が、私の中であったのかもしれない。
実際には、お互いの意見がどうしても交わらないこともある。
だが、時には交じり合わないことを受け入れつつ、次のステップに行くことも大事じゃなかろうか。
これも、テーゼとアンチテーゼを超えた、ジンテーゼへと向かう道の一つかもしれない。
犬もくわない夫婦喧嘩は、曖昧さを受け入れる、貴重なレッスンとなった。
まぁ、まだまだ「意見=自分」にすぐに陥る私にとっては、レッスン完了はほど遠いけどね。気長にやっていこうっと。








