今から10年以上前になるが、私がまだOLだった頃。
会社を後にして、電車にゆられる。
アフターファイブの用事もないし、このまま家に帰るだけなんだけど・・・
どうしても、ダメだった。
どうしても、まっすぐ家に帰れなかった。
途中の駅で降りて、もしくは、繁華街まで乗り越す。
行き先は、いつも決まってコーヒーショップだった。
ドトールなどのセルフサービス店。
セルフ系の喫茶店は、私のような、女性一人客も多い。
おひとりさま用といえよう、カウンター席に座る。
周りに背を向けると、目の前は壁である。
周りの女性たちは、本を読んだり、タバコで一服したり、勉強していたり。
(当時は携帯メールが無かったが、今は携帯している人も多い)
狭いけど、一人きりになれる空間で、思いのまま過ごしている。
私ももっぱら本を持ち込んで、時を過ごしていた。
そこで何がある訳でもない。何かが起こったためしもない。
ただただコーヒーを飲んで、本を読むだけ。
でも、はーっと荷を下ろしたような感覚。
タバコは吸わないけど、フハーっと一服した感じを味わっていた。
ひとしきり気が済むと、コーヒーショップを出て、家路を向かう。
ただそれだけ。だけど、退社後の寄り道は辞められなかった。
その当時はその理由が、さっぱり分からなかった。
今でもはっきりと理由が分かっている訳ではないが。
最近読んだ本の中で、サードプレイスという概念に出会った。
ダイアローグ 対話する組織
からの引用

サードプレイスとは、家(必要不可欠な第一の場所)と職場(必要不可欠な第二の場所)に加え、都市に暮らす人々にとっての「必要不可欠な第三の場所」を意味します。
(中略)
サードプレイスとは、強制されない自由を保ちつつ、他者とのゆるやかで
心地よい関係を構築することが出来る空間ということです。
つまり、職場でも家庭でもない、第3の自分になれる場所といえようか。
そう。あの頃、私は行き場を失っていた。
アミーゴはこうである-
私と職場の人達で潜在的に合意している自分、役割が息苦しくて仕方がなかった。
そして家に帰ると、今度は長年家庭の中で培ってきた、娘としての自分になる。
親子関係はまぁ良好だったと思うが、それはそれで固定化した自分に変わるときだ。
自分という多面的な存在があるにも関わらず、その中の二つの面しか表現できない。
しかも、その自分に満足していなかったのだ。
職場で背負ってた自分を、ふっと降ろせる場所。
誰という存在でもない場所を、コーヒーショップに求めていたのかもしれない。今から思えばだが・・・。
職場帰りに、飲み屋で一杯ひっかけてから帰るサラリーマンもこんな気持ちなのかな。
「職場でもない、家庭でもない場所。働く人にはいつもとは違う自分を出せる場所。
そんな自分で対話できる場所が必要」
今、私どもでは対話の場を創ろうと模索している最中だが、一緒に創っている仲間からも、そんな意見が出た。
私はそっと、昔の自分に戻った。
私が抱いていた思いは、背負っている立場や背景は違えども、多くの働く人が感じていることかもしれない。
固定化した「あなた」から解放される場所-それがサードプレイスかもしれない。
今、働く人たちのサードプレイスとしての、対話の場を創ろうと準備しているところだ。
また形になってきたら、このブログでもお伝えするね!








