「(人間の)存在そのものを承認する人が増えれば、日本は変わる」
これは、私たちが東京で開催したセミナー「プロコーチから、次のステージへ」の最後に、私自身が言った言葉である。
人間の存在そのものを承認する、その概念をNLPのディルツ博士は、「スポンサーシップ」と名づけた。本当に大切な概念であり、あり方だと思う。
しかし、ハタと立ち止まってみる。
存在そのものを承認する-その言葉自体はシンプルなので、「そうよねぇ」と、当たり前のように、受け入れられてしまうが。
じゃあ果たして、「(その人の)存在そのものを承認する」とは、どういう内的状態なんだろうか?
どんな感覚で、接することなんだろうか??
おいおい、アミーゴ、分かっているんかい??と、セルフ突っ込みが入った。
「存在そのものを承認する」
それは、こういうことだろうか?
「人間はそのままでも、素晴らしい!」と、心から信じること??
確かに、間違いではない。恐らくそれも、スポンサーシップの一つだろう。
が、私にとっての答えではないような気がする。
じゃあ、私にとっての「存在そのものを承認する」って何やねん??
つれづれと思考に耽っているうちに、一人の男性の顔を思い浮かんだ。
私にとって、スポンサーシップを象徴する人の一人だ。
その人の名は、「フォレスト・ガンプ」
ご存知のとおり、アカデミー賞を獲得した名作の主人公だ。
彼のあり方には、多くの人が元気づけられるというより、癒されるんじゃなかろうか。
彼は幼なじみジェニーを愛し続ける。
なぜ、愛するのか?
そう聞かれると、私なんぞはすぐに答えを探そうとする。
しかし、フォレストは違うであろう。理由なんかいらない。ただ、愛しているのだ。
映画に話を戻そう。
フォレストは、数年ぶりに幼なじみジェニーと再会できた。
時代の流れに翻弄され、荒れた生活を送っていた。
しかも、深刻な病(恐らく、エイズ)にまで侵されている。
自分が愛した女性が、そんなことになっていたら、普通はショックを受けるだろう。
しかし、フォレストは違う。
ドラック漬けになろうとも、もしくは、どこかの会社の女社長になっていようとも、また、マザーテレサのように、世のため人のために活躍しようとも・・・
彼の、ジェニーに対する思いは、ビクとも変わらない。
そこには、何の評価も価値判断もない。
ジェニーがジェニーである、彼にとって、それが全てなのだ。
人間は本来、素晴らしい存在である。
と同時に、取るに足らない存在、時にはどうしようもない存在でもある。
能力があるから、人に貢献したから素晴らしい・・・
その部分だけ承認されても、潜在意識では「ジャッジされた感」が残るのではないだろうか。
本当の意味で、安心感を持てない。
なぜなら、清濁合わせ持った状態こそが、人間である。
素晴らしさにも、下らなさも、同じくらい重要である。
同時に、どちらも重要でない。
映画の中で、フォレストはIQが人より低いという設定なので、「スポンサーシップを持とう」として、そんなあり方を選んだのではないだろう。
が、彼がジェニーを見守る視点は、恐らく菩薩と同じじゃないだろうか。
「私はジャッジをしない。ただただ人間を観察している」
名著「神との対話」に出てくる「神」は、筆者にそんなメッセージを伝えている。
スポンサーシップとは、あの視点にも近いんじゃないかと思う。
もちろん、私だって、自分の素晴らしさを認めてもらいたい。
認めてもらったら、小躍りする。
しかし、それはいつもジャッジを伴うのも知っている。
コーチは、意識するにせよ、どうであれ、スポンサーシップを発揮する生き方を選んだ人だと私は思う。
ありのままのその人を、慈しみの心を持って、見守ることができたら、本当に素晴らしい。
この上なく、幸せだ。
が、それにはまず、自分から始めないといけないだろう。
他人ではなく、自分に対して、スポンサーシップで見守ることが先決かな。







