今回は、いつものアミブロとは違うトーンのエントリーとなった。
しかし、何かに突き動かされたかのごとく、キーボードに打ち込んだ。
なぜなら、涙があふれてきたから。
それは感動の涙ではなく、心の奥から震えてきたものである。
私は毎日、日経ビジネスオンラインをちょこちょこ読んでいる。これは、登録すれば(無料)、日経ビジネスオンラインのサイトに掲載されている、多種多様な連載を購読することができる。
ビジネス・経済に関する記事が大多数の、この日経ビジネスオンラインの中で、ポツンと異彩を放つ連載がある。私も、パートナーの赤木も、この連載をとても気に入ってる。
生きるための古典 ~No classic, No Life ~
岡敦さんという方の連載。内容は、めちゃ平坦にいえば、カミュやカフカといった古典の書評である。いや、書評というより、筆者自身がこの古典たちを、どう人生を生きるのに役立たせてきたのかを、彼の言葉で紹介しているといっていいかな。
彼も言うとおり、彼のバイヤスがめっちゃかかってて、これらの古典について書かれている一般的な書評とはかなり異なっている。
まぁ、そもそも書評自体、その論者のバイヤスがかかるのは当然である。
正しい間違いはともかく、そのバイヤスを好きかどうか、響くかどうかが、自分にとって重要だと思う。
岡さんの書評は、私にはすごく心に響くのだ。
古典のレビューを通して、岡さんの連載で扱ったテーマは、意識の変容だったり、死という絶対的な存在だったりと、本質的なものが殆ど。
彼の文章が意味することを全て、理解できている訳ではない。(やや難解な表現もあるし)
でも、言葉で理解できなけど、心の奥では分かるのだ。
あえて、魂という言葉を用いるとすると、魂が響くといってもいいかな。
今朝、日経ビジネスオンラインで更新されていた記事のタイトルは
「無意味で愚か」だからこそ、挑戦は続く
内容は、フランツ・カフカ『城』についてだった。
この小説の主人公は、いわば「成功」を目指して戦い続け、到達できない男のようだ。
(私は、この連載に出てくる古典を、何ひとつ読んだことがなくって・・・)
この記事のあらましは横において、私が響いたのは
人は誰でも「成し遂げられていない物語」を生きている
この一文である。
弊社のキャッチコピーは 「本来の自分に気づき 本来の人生を生きる」なのだが、これは私の人生の指針でもある。
本来の自分を生きることを、私は目指し続けている。
が、それは同時に、どこまでも実体がつかめないものを目指すのと同じではなかろうか。
本来の自分なんてものは、どこにもいない。
恐らく、コレっと定義できるものでもないだろうし、定義してしまった途端、変幻自在な自分が、固定してしまう。
本来の自分、本来の人生を生きる、そのものが、
「成し遂げられていない物語」なのかもしれない・・・
もの哀しい感覚にあふれ、優しい涙が流れ出る。
キミの物語は、永遠に未完かもしれない。
しかし、それは、無限の回数、挑戦できるということなんだよ。
岡さんの連載の末尾に、添えられたこの一文。
「成し遂げられていない物語」だからこそ、自分と言う未完の存在、未知の可能性に、生涯、挑戦し続けられるのかもしれない。
そんなことを感じた、秋の空であった。







