‘私ごと’ カテゴリーのアーカイブ

嫌煙原理主義者にはなれない理由

2010年8月26日 木曜日

私はこれまで、煙草とはほぼ無縁の人生を送っていた。
若気の至りで、ほんの1~2本、試してみたくらいはある。が、全く習慣にならないまま、時は過ぎた。

年々、世間では「禁煙!禁煙!」と喧伝されるようになった。堂々と喫煙できる場所も減り続け、喫煙者にとっては肩身が狭くなってきているのではなかろうか。

私個人の見解としては、煙草はそれぞれの好き勝手でしょ?という、リベラルな姿勢を取っている。

・・・つもりだった。


が、よくよく思い当たると、私も「嫌煙家」になりつつあるかもしれない。

いや、喫煙者の自由も理解したいところだが、そうならざる得ないのだ。今となっては。

あぁ、うめぇ~

あぁ、うめぇ~



かつて煙草は、私の身の回りに存在していた。
実家では、父と兄が煙草を嗜んでいたので、煙がある風景は普通だった。

20年以上前、成人男性の殆どは煙草を吸ってたんじゃなかろうか・・・と思えるほど、喫煙風景は街中に溶け込んでいた。

私が就職した頃(バブル後期ね)は、職場は分煙なんぞ無く、皆が好き勝手に、席で煙草を吸っていた。

飲み会でも当たり前。だから、煙草の煙、匂いには耐性があったというか、さほど気にならなかった。

・・・が、時代が21世紀に近づくにつれ、急速に分煙化が進んでいった。

私が退職する頃には、職場では喫煙ブースが設けられ、席で吸うことは許されなくなった。

そうこうしているうちに、私の周りには、喫煙者がめっきり減った。若い頃は嗜んでいた友人も、いつの間にか辞めている。

現在、私の親族(私の実家、夫の家族)で、煙草をすう人は、もはや誰もいなくなった。おかげで、娘は煙草の存在すら知らない。

また、コーチの友人が多く混ざる、私の交流関係の中では、これまた何故か、煙草を吸う人が少ない。10人中1~2人くらい? もっと少ないかなぁ・・・


煙草の煙をかぐ機会がめっきり減った。
そのせいで、耐性がどうやら無くなってきたみたい。

かつては全く平気だった匂いや煙に、敏感に反応するようになってしまった。。

タクシーに乗車しても、前の乗客が残した匂いにむせてしまう。
ホテルマンに丁寧に接客頂いても、彼の服から匂いが立ち込めるだけで、「あぁ・・・」とゲンナリしてしまう。

喫茶店で、斜め後ろにいるお客さんの副流煙がこちらに流れたとき、思わず「キッ!」と振り返ってしまう。

その形相は・・・

恐らく、嫌煙家そのものであろう。


「あのね、嫌煙家が向ける、喫煙者への視線って、本当に怖いんですよーーー」
かつて、単発でコーチングをした方が、しみじみ言っていたのを思い出す。
(そのかたは、すでに禁煙に成功したんだけど)

確かに、寒いのに外に出て、背中を丸めて喫煙している姿をみると、ちょっと気の毒に思える。

現に、私の周りの数少ない喫煙者はとてもマナーが良い。灰皿持参は当たり前で、同席しても吸わない人を配慮し、ちゃんと席を外して喫煙している。

彼らをみてると、そこまで嫌煙だ!と躍起にならんでもいいかな~とも思えてくる。


そこで、冷静に考えてみた。煙草がなぜ、ここまで嫌われるようになったのか?

煙草の存在自体がイヤという訳ではない。
恐らく、吸わない人にとって苦痛なのは、その「煙」だけである。
慣れてない人間にとっては、あの匂いが、本当に辛いのだ。

個人で楽しんでいる喫煙行為を邪魔したくはないが、そこは勘弁してほしい・・・
うーん、ジレンマ。

煙が出ない煙草って、かつて発売された記憶はあるが、普及している様子はない。
やはり吐き出すことで落ち着くんだろうね。


まぁ、今は健康ブームと相まって、たまたま喫煙が目の敵となっている。
、私は今後、標的は変わっていくだろうとみている。

もし、煙草増税で大幅値上げになった結果、喫煙者が壊滅的に減ったとしよう。

この流れで行くと、次に狙われるのは・・・

飲酒のような気がするぞ!

かんばーい!

かんばーい!



煙草が他人に与える害といっても、副流煙や火の不始末くらい。
が、飲酒の方が実は、やっかいな騒動を巻き起こしている。

酔っ払って絡むのも困りものだが(私、たまに赤木にしてるかな)、大きいところでは、急性アルコール中毒で救急車出動だったり、飲酒運転による事故だったり。

最近、日本人の飲酒量が減っている。この流れでいくと、喫煙と同じく、飲酒も槍玉に上がるのではなかろうか。

うーん、それは困る。

だって、私は目下、減酒中ではあるが、相変わらずお酒は好き。
そういう意味では、立派な利権者だ。

きゃっ~
「酒飲みは、自分をコントロールできてない証拠だ」とか言われるようになったら・・・

いやだなぁ~。

うーむ・・・

嫌煙原理主義者には、なれないなぁ。
同じスネに傷を持つもの同士としてね(笑)

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24歳の頃のトキメキを・・・今

2010年8月10日 火曜日

こんなトキメキ・・・24歳の時以来だわっ。
どんな風に映っているの、ワタシ・・・
鏡で確認する回数が増えた。

そう、まさに10数年ぶりである。
蓮舫さんみたいになったのだ、私・・・まぁ、よく言えば、だけど。

そう

ベリーショート

誰がみても一目で分かるくらいに 髪の毛を切ったのだ!!!


「おぉ、いいじゃん! 10歳は若返ったぞーー」 夫の反応に喜んだのも束の間

「ママーーー、おばさんみたい」 しきりに叫ぶ 娘
(娘いわく「トトロ」にも似ているらしいが)

うーーーむ。 しかし、概ね好評のようで、思い切った甲斐があった。


20代の頃は、ショートにしたり、ロングヘアにしたりと、いろんなアミーゴを楽しんでいた。が、30代に入ってからは、ほぼショートヘアに定着。

その理由は、お手入れがラクというのもあるが・・・

女性らしさの象徴でもある、ロングヘアが似合わないんだわ、悲しいことに。
髪質が固くて、量が多い。、どうしても重苦しくなるのよ。
第一、顔立ちとの相性がどうも悪い。

で、肩につかない程度のショートヘアで、長年こまめに調整続けていた。

「前回と同じくらいに」「前回より、ややすっきりめに」
美容師さんへの要望を、事前に考えておく手間をすっかり省いる。

まるでおっちゃんが「いつも通りに」と、散髪してもらうのと同じである。


このまま続くかと思ったが、つい最近、私を揺さぶる出来事が起きた。

「キレイさっぱりしてくるわ~」と、軽やかに散髪に出かけた夫。
1時間も立たないうちに、宣言どおり? すっきりさっぱり坊さん頭で帰ってきたのだ!

やられた・・・なぜか、そんな言葉が体を駆け抜けた。

それから、私の脳裏に、「ベリーショートにしたアミーゴ」の姿がチラチラ浮かぶようになった。

実は24歳の頃に一度、ベリーショートにしたことはある。周囲を驚かせたが、かなり好評だったので、伝え方に失敗しなければ、そんな変なことにはならんだろう・・・とは見込んでた。

(余談だが、職場では「失恋したらしい」という勝手な噂もあったらしい。
今でも「髪の毛バッサリ切る=失恋」の図式ってあるのかな??)

が、そう思い立ったものの、すぐには腰が上がらない。変化をためらってしまう。
これも年齢を重ねたせいだろうか・・・分からないが

サイトの写真も、私の似顔絵イラストもショートヘアのままだしなぁ~
このままでもいいかな~

面倒だしなぁーーー


怠惰な方向に流れそうな一方で

胸にむずむずするものを感じる。


今年の末にかけて、仕事面、つまり私どもの事業が大きな変革の時期に来ている。
方向性を変えていくときが来たのを、ヒシヒシと感じている。

自分に変化をもたらすことで、新しいファインネットワールドへの先鞭を切れたらなぁ~

そんな期待がよぎった。


グズグズ迷ってても仕方がない、美容院に電話予約した。

翌日、美容師が容赦なくハサミを入れていく姿を、鏡からおそるおそる眺めた。

「あぁ・・うまく行くかなぁ。いやーーん、どうしよう」

どこかで覚えがある感覚・・・そう、24歳のワタシがアリアリと蘇ってきたのだ。

当時は独身で、見た目重視の年代真っ只中。
髪型を失敗することは、当時は致命傷のように感じてた。

だって、服装は変えられるが、髪型は失敗すると、しばらくはリカバリーできない。
あの当時、未知の髪型に挑戦するときは、決死の覚悟だった。
美容院の鏡に映る、刻一刻と変わっていく自分に釘付けだったのだ。

それに対して、現在は・・・
もう結婚して、子供もいるし、と、もっと気軽な気持ちではあったが
自宅に帰るまでの道のりで、夫や家族の反応にドギマギを感じていた。

いやいや・・・オンナが大胆に髪型を変えるときは、幾つになってもドキドキするもんね。

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お酒って割に合わないかも

2010年7月8日 木曜日

「本当は私、どこかで辞めたいと思ってる!?」

私はさほど強くもないに関わらず、お酒が好きだ。
特に赤ワインが好きで、量は大したことがないが、毎日ちびちび飲む。

「仕事終わった後の、ささやかなごほうび」ってのが、ワインの位置づけなので、私の中で、すっかりアドレナリンと結びついてしまってる。
しかも毎日、晩酌していると、ソレが無いと何だか物足りないのだ。

まぁ、それで支障がなければいいのだが、幸か不幸か、私は胃腸が強くないので、翌朝、体の仕上がりが、良好ではない。

ちびちびワインが毎日続くと、体のどんより感が少しずつ増してくるのだ。イエローカードが見えてきたら、その日は休肝日の看板をおろす。1日休みをとると、大抵は調子が戻る。

そんなこんなで、半ば誤魔化しながら、ここまで来たけれど。
でも、心の中に生じては消えない疑念が、少しずつ大きくなってきた。

「お酒飲むのって、やっぱ費用対効果が低すぎるんじゃないか?」


加齢のせいもあるが、アルコールの翌朝は、「体に負担かけてるよなぁ~」のをひしひしと感じるようになった。




そこで、今まではウヤムヤにしてきたこの議題について、アミーゴ総研にご登場いただき、左脳的に分析してみることにした。

飲酒によって、何が得られるのか?
それは失われるものに対して、多大の恵みを与えるものなのか?

まず、飲酒によって得られるメリットを考えてみよう。

そもそも、なぜお酒が好きなのか?

それは・・・
酒飲みな方なら分かると思うが、ほろ酔い時に味わえる「ほわーーん」とした感覚が好きなのだ。一種のトリップなのかな。

居酒屋でワイワイするのが特に好き。
「ほわーん」を味わう中で、気持ちがほどけ、リラックスするので、愉快に会話をたしなめる。

この、ほろ酔い「ほわーん」持続時間であるが、だいたい30分、長くて1時間。

「ほわーん」時間に長くゆっくり愉しもうと飲酒ピッチを上げると、いとも簡単にほろ酔いを通り越してしまう。
陽気に歌うとか、寝るとかではなく、トイレに引きこもってしまうのだ。
これはさすがに割に合わないので、臨界点を超えない程度の飲酒量は心掛けている。

で、「ほわーん」30分強を得ることによって、失われるものは何だろう?

端的にいえば、翌朝の体調である。

ビール1杯くらいなら影響ないが、私が好きなワインは、結構カラダにクルのよね~。
3杯以上飲むと、眠りも浅くなるし、なんせ翌朝が堪える。

仕事が出来ないほどではないが、エンジンがかかるのが遅れる。

それを明確に自覚したのは、ノンアルコールの翌朝を味わいつくしたからだ。

最近、夏バテ気味だったので、しばらくノンアルコールを続けている。
するとねぇ、やっぱデキメンなのよ。
翌朝の仕上がりが全然違うし、仕事エンジンもすぐに全開となる。しかも、体が軽い感覚が1日続く。

で、まとめてみると

前日の飲酒によって得たもの 「ほわーん」 30分なり
失うもの 朝起きてから、午前中ずっと続く 「けだるさ」 6時間なり
(午後になると、回復してくるので)

となると、30分の「ほわーん」のために、翌朝の「6時間」が奪われる訳か!!


やっぱ割に合わない、費用対効果も悪すぎるっ!

ってなことを、延々と頭の中でやってた訳だが、どうやら左脳が私に納得させたかったみたい。

私もどこかで、ついついクセとなっていた、毎日の飲酒にピリオドを打ちたかったのではなかろうか。

ということで、禁酒ではなく、減酒を、ここで宣言する。

翌朝仕事がある日(つまり、ウィークディね)は、お酒を飲まない

・お酒を飲んでもよかろう日
・翌朝仕事がない日(つまり、休前日ね)
・飲み会がある日(まぁ、めったに平日は行かないので、実質的に休前日となる)



「おぉ、やっとアミーゴも目覚めたか。」

飲めない訳じゃないが、自分から好んでたしなむことはない夫は、手放しで喜んでいた。

一人だと、すぐに意思が折れてしまう私なので、衆知の目にさらすために、思い切って、ブログで宣言してみた。(後戻りできない・・・)

とりあえず、3ヶ月間(9月いっぱいね)頑張ってみるぞ!

果たして達成できたかどうか・・・その結果をブログに書くね。

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クレームのコスト

2010年7月3日 土曜日

先日、ネットショップで、友人の出産祝いを注文した。
早く届けたくて、注文した日にネットで振込んだ。あとは、「いつものように」配達してくれるを待つばかりだと思っていた。

それだけに、ネットショップから届いたメールに、軽く動揺した。

「入金確認しましたが、ラッピング代◯◯円が含まれていません。
至急、残金をお振込み頂かないと、発送できません。」

えーーっ、私、何か見落としたのかなぁ~。
申込時に届いたショップからの自動返信メールを検索し、再度確認した。
そこには、別途かかるラッピング代についての記載は一切なく、商品代と送料を合算した金額が、合計金額欄に記載されていた。

いつものクセで、ショップからのメールに書かれてた合計金額を、そのまま振り込んだのだ。

そう言われてみれば、ショッピングカートの操作画面で、ラッピング代についての記載があったような気がした。
が、いちいち覚えてなくても、また自動返信メールで、ラッピング代をONした金額を請求してくれろうだろうと、すっかり思い込んでいた。

その件でネットショップに問い合わせしたところ、「サイトにも掲載してますよ」と、つれない返事。

まるで、こちらだけに非があるかのような、あの書き方はナニ?

さて、それから、どうしようか。
考えられる、3つの対応をあげてみた。

  1. クレームという形になるが、まずは、ネットショップにこちらの意見を伝える。
  2. クレーム付ける時間も、また別のショップをさがす時間もないので、スゴスゴと残金を払う。
  3. こんな失礼な対応のショップで購入するのは不本意だ。返金してもらう。
私は苦悶した。

本来、人にクレームを伝えるのは、あまり好きではない。

伝えるのに、めちゃめちゃエネルギーを消費する。
さらに、時間がもったいないし、今回は見過ごそうかとも思った。(つまり、2ね)

でも考えあぐねた結果・・・
1を選択することにした。

なぜなら・・・

私どももネットで物販を行っているし、ショッピングカートも設置していた。
同業者らしき立場から、見て見ぬふりが出来なかったのだ。

私どもの経験から言えるのは、お客様はネットショップ側が提示する別料金の仕組みを、そんなには覚えていない。
これは悪気があるのではなく、お客様も忙しく、いちいち覚えていられないからだ。

だから、お客様の負担が少なく済むように、お客様側でいちいち別料金を計算して振り込まずに済むように、合計金額を、販売側で合算しておくべきだと思う。

お客様にとっても、不足費用を再度振り込むことは、再度、振込手数料を負担することを意味する。それを未然に防ぐ手立ては、販売側で考えるべきだろう。

自動返信メールにて、追加料金を記載していなかったことに悪びれもなく、「お客様がきちんと覚えておくべき」と信じて疑わない態度に、一石を投じてみたくなったのだ。

良心的なネットショップなら、お客様の声に真摯に傾けるだろう。
その上で、対策を練ってもらった方が、彼らの今後のためかもしれない・・・そんな親心も少しだけあった。

(あっ、それはかっこよく言い過ぎで、お怒りの気持ちも強いですぞーーー)

その事を、メールで冷静に説明してみようと、書いては消してを繰り返した。
案の定、時間がめちゃくちゃかかった。

やっと、書き上げたメールを送信する前に、また様々な気持ちがよぎった。

熱意を込めて(怒りもこめてるけど(苦笑))伝えたつもりだが、結局は意図が伝わらず、骨折り損になるかもしれない。
相手には「モンスター」扱いにされるかもしれない。

はぁ、かかった時間のコストを考えると
金持ち、喧嘩せず・・・ってよく言ったもんだなぁ。


が、せっかく書いたんだし・・・と、送信ボタンを押したのだ。

で、事の顛末はというと・・・私が伝えたクレームに関する、ネットショップ側の返答は一切なかった。

その代わりかどうかは分からないが、別途料金のラッピング代の請求がうやむやになったまま、「商品発送のお知らせ」が届いた。

うーん、何だか伝わったのか、モンスター扱い?にされたのかさっぱり分からないが、これ以上の追求はしない。

ただ、他人事とは思えないことでもあった。
常に、お客様の立場に立っているつもりが、長くやっていると、「これくらいは、分かってくれるだろう」という甘えがどうしても出てきてしまう。

他山の石として、よい教訓を頂いた。

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私が結婚に追い込みました(笑)

2010年6月17日 木曜日

最近、シリアスなテーマが続いてたので、今回はライトでウフフなネタを。

『一応、結婚の話は出てるんだけど・・・いつ、結婚するんかなぁ~?
本当にするのかなぁ~、分からなくてぇ』

先日、久々にランチを一緒にした友人が、笑いながらこう語った。

両親にお互いを紹介しているし、お互いにその気はあるのは間違いないが、ソレ以上の進展はないそうだ。

私はパスタをほおばりながら、思わず口走ってしまった。

『そんなん、どっちかが押し切らないと、決まらないでぇぇ~』

そう。これは、経験から言ったセリフなのだ。


あれは、もう9年前。

「結婚しようか」
付き合い始めて数ヶ月で、彼はプロポーズしてくれた。
あぁ、天にも昇る気持ちになった。ブラボー♪♪

このまま両親への紹介、顔合わせ、式場決定など、コトがスムーズに運んでいくものだと、その時点では信じていた。

ゼクシィまで買っちゃったよう。

・・・なのに、それから数ヶ月、何も進展が無かった。

彼の気が変わったという訳ではなさそうだが、「じゃあ、いつ?」と尋ねると、曖昧な返事で、はっきりとしない。

放置プレイされてしまったのだ。

「なんか、結婚を急かしたら、彼にプレッシャー与えるかもしれないしぃ~。
それって、なんか重くない?やっぱ、その気になるまで待とうか」

たぶん、20代の私だったら、妙なプライドもあったりして、彼の前で余裕な素振りをしてたかもしれない。

「別にぃ、結婚焦ってないしぃ、もっとしたいことあるしぃ」

が、30代に突入していたからかどうか分からないが、宙ぶらりんを許容する気にはなれなかった。

「だって、結婚したいじゃん! それが何か?」
ある意味、開き直った自分になっていたのだ。


ある日、思い切って、問い詰めてみた。

『なぁ、いつ結婚するの? そろそろはっきり決めようよ』

『いや、俺はまだ独立して間がないし、安定してから考えるわ』

なにぃ~!!
私はブチ切れた。

『あなたの仕事って、自営業って、いつ安定するの? 一生安定せぇへんのとちゃう?!!!』

ウググ。彼は、次の言葉が出なかった。

なーんか、追い詰めた感じもしたが、
結果的に、このセリフがシュートを放ったようだ。

「そうやなぁ~、
 自分の仕事は確かに、一生安泰ってことはないなぁ~。」

彼は覚悟を決めたようだ。
その後まもなく、私の家に挨拶に来てくれることを、ついに承諾した。

それからは、とんとん拍子にコトが進み、半年後に鐘を鳴らすことが出来た。


この4月で結婚8年目を迎えたが、あの時、私が曖昧を認めていたら、「現在」は変わっていたかもしれない。

ゴールインはさらに先だったかもしれないし、立ち消えになった可能性すらある。

全てのケースがこのような結果になるかどうかは別として、私の場合は、素直に自分の欲求を伝えて良かったと思う。

周りの友人たちをみていても、女性が結婚を押し切るケースの方が多いかな

なぜだろう・・・??

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もしも命が無限だとしたら・・・

2010年6月9日 水曜日

昨日のブログで、「もしも命があと一年・・・一週間だったら?」という問いを立ててみたが、
偶然にも、私の友人がブログで、真逆の問いを発していた。

「もしも今の肉体のままで、命が無限だったら、何をするでしょうか?」

彼女の問いは上記そのものではないが、私はこのように解釈し、改めて思索にふけってみた。

命に制限を加えての問いはよく見かける。
が、無制限になったとしたら・・・という問いは、あまり見かけたことがない。

うーん、逆に制限が無くなったら、何をしたいかな~。
この問いに対する、明確な答えは私の中でまた出てきていない。

が、もしこの肉体のままで、不老不死になったとしたら・・・
これは人間の存在を、根本から揺るがすものではなかろうか。


私たち人間は、地球上の生物といってもいいだろうか、命には限りがあるという大前提で生きている。

自分たちの中にある様々な考えや思想を取り外しても、この大前提だけは動かしもない真実とされている。

が、当たり前すぎて、抵抗の余地もなかった、この大前提が無くなってしまったら
ある時を境に、命の制限が無くなってしまったら・・・

そんな人類史上、未曾有の大転換が起こってしまったら、この人間社会はどうなるのだろう??

だって、社会の仕組み、思想の根本背景からして、「人はいつか死ぬ」というものが組み込まれている。そこも、根本的に組み替えていく必要がでるだろう。

また、いつかは死ぬことを前提とした、「よりよく生きるには?」の問いが
「よりよく生き続けるには?」という問いに転換される。

改めて、問う。
「もしも今の肉体のままで(健康状態も良好なまま)、命が無限だったら・・・・」

今、心に思う夢に向かって邁進し、かなりの時間を経て叶う人もいるだろう。

もっとも、独裁者となって、世界征服も出来るかもしれない。

しかし、成し遂げられた先にも、まだ人生が脈々と続いていく・・・となったとき、どうなんだろう??


 人は幸せを感じ続けることが出来るのだろうか?

 人生に飽きることなく、生き続けることが出来るのだろうか?


・・・これも、私には答えがない。思考実験のようなものだから。

ただ、何となく思うことがある。
恐らくエゴを満たし続けるだけでは、幸せを感じながら、膨大な時間を生き続けるのは難しいだろう。

いいかげん、飽きてくるような気がするなぁ。
怠惰になるにもいいけど、それでも時間が有り余る。

そうなると、自分の境地も別の次元にいかなあかん!ということで、悟りとかに自然と向かっていくかもしれないね。

今の私たちの多くは、命の制限を感じたとき、生を輝かそうという動きになる。
逆に、命が無制限になっても、今とは別の形で、生を輝かさざるえないかもしれないなぁ。

とまぁ、とりとめもなく、結論もない話となったが。
いつもとは違う頭が刺激されて、面白い機会となった。

これからも、折をみて、考えてみようかな。

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私たちに明日の保証はない

2010年6月8日 火曜日

先日、知人が急逝した。
この一報を聞いたとき、頭が真っ白になった。そして叫んだ。

「何で?」

後になって、心不全だと聞いた。

私は一度しかお会いしたことがなかったが、マイミクだったり、Twitterでフォローしあったりで、何かしらの繋がりを感じていた人だった。

衝撃的だった。

それと同時に、改めて思い知らされた。

明日の保証が無い・・・
私たち人間は誰一人として。


昔と違い、死を身近に感じる機会が少ない現在。
心臓の鼓動が、脈々と続くような錯覚すら覚えてしまう。

来年も、再来年も当たり前のように訪れることを前提に、コトを進めようとするが。

「命があと1年だったら・・・1ヶ月だったら・・・あなたは何をしますか?」

ソースワークショップでは、そんな問いを投げかけられる。

これは決して、バーチャルな問いではない。
いつ何時、現実になるかもしれない問いなのだ。

改めて、自分の内側に問うてみた。

もし、人生の成功というものがあるとしたら
「あぁ・・・この人生で良かった」
そう心から思える最後を迎えることかなぁ、と私自身は思っている。


では、有終の美を飾るために、何をしていきたいだろう。
何に命を使っていきたいのだろうか?

やはり・・・・
やはり、そうなんだ。

「対話」

前回のブログで、今後のファインネットワールドは「対話」という方向へ舵を取っていくと書いた。

そうなんだ。
関わって下さった方と、深く共鳴しあうような対話をじっくりとしていきたい。

 ただ、対話を通して、
  相手に、多くの人に、何か伝えたいことがある訳でもない。
  こうなって欲しいというものもない。

ただただ、対話を通して、エネルギーを深く交流しあうことで、何かの痕跡を残していけたら・・・

これからの人生の中で、自分と相手を掛け合わせながら、自然に変容へと進む道を歩んでいけたらなぁ・・・

そんな静かな願いが今、満ち溢れている。

「これが生きる道だ!」とかいう、激しいうねりは私の中にない。
ただ淡々と、導かれる方向へと進んだ結果、

気がついたら、天命を生きていたということになるかもしれない。

それは、この世を去る瞬間に分かる、クイズの答えかもしれないが、今はその時を楽しみにしていよう。

同世代の知人の死は、私に一番大切な事を教えてくれた。

ありがとう。



このことを、ブログに書くのは躊躇しました。
でも、多くの人に喜びをもたらした彼だったら、自分の存在を通して、何か気づいてもらえたら嬉しいのでは・・・と思い、感謝を込めて、書くことにしました。

多くの人に愛され続けたターザンさんのブログがここにあります。
On the Road~夢を叶える人生の道を

心からご冥福をお祈りします。
この世でのご縁に感謝しながら、またお会いするときを楽しみにしています。

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わが人生で諦めたこと 果たせなかったこと

2010年5月25日 火曜日

「今後の人生で、これだけは実現したい」
10年近く前に、密かに願った夢があった。


「諦めなければ、夢は叶う!」
巷で流布する成功法則を試そうとしたのか? 実現に向けて、やれることは色々とやった。

「実現させるぞ!」
周りの人たちにも、高らかと宣言した。
もちろん、夢を紙にも書いた。
それだけでは覚束ないので、宝地図っぽい写真を撮り、壁に張った。

おっと、実現した後の未来の自分を、アリアリアリとイメージすることも忘れやしない。

その上で、実現に向けての行動を、毎日毎日行った。

夢を語り、自分を鼓舞し、さらに日々のアクションも起こしているのだから、叶わない訳がない。
叶わない訳はないだろうと思ってた。

私にとってはこのことを実現すると、実現しないとでは、人生がガラリと変わる。
早く、実現した世界へと移りたかった。

そして・・・

はい、実現しました!!


・・・鼻高々に言いたいところだが、今だに現実化していない。
それどころか、今世で実現させることを、ほぼ放棄してしまっている。

挫折感でいっぱいだが、モチベーションだけではどうにもならなかった。

で、私の人生で一体何を叶えたかったのか!?

はい、車の運転である。

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『なーんや。車の運転くらい、すぐにでも出来るようになるよ。』
友人は半ば呆れ返った面持ちで、そう励ましてくれる。

『あんなん、慣れやって』

もう、何十回言われただろう。
私も早く、そのセリフを実感できる世界へと行きたかったワ!

免許自体は24歳の頃に取得しているが、実家に車が無かったので、運転する機会も無かった。

そんなペーパーな私が一念発起してみたのは、車が無いとやや不便な今の地域に住み始めたのがきっかけだった。

車を運転出来たら・・・夫に頼まなくても、自由に買い物に行ける。
遠出するときも、夫に運転を代わってあげられる。
夫を駅まで送ってあげることもできる。

夢はますます膨らんでいく。

まずは、近所を1周するところから始まった。
「練習すれば、出来るようになる!」と思い込みたい一方で、徐々に、自分の中で高まる声を拭いきれなくなってきた。

「そもそも私って、運転に向いてないかも!?」


なぜなら、数分運転するだけで、気持ちが消耗しきるからだ。

車を運転してみる数分間・・・それは私にとって、危険なアドベンチャーだった。

反対車線から、対向車が間近に近づいてくるだけで、背筋が凍る。
狭い車線ではなく、およそぶつかりそうもない広い車線での対抗さえ、怖くて仕方がない。

車線変更すべく、前後の車の間にヘッドを突っ込んでいくなんて、もう決死の覚悟。
交差点のド真ん中で、急ブレーキをかけてしまい、夫に「殺す気か!」と怒鳴られたのも、ますます自信消失へと追いやった。

車を運転するたびに、一人アクション映画してたのでは、身が持たない。

しかし、ペーパードライバー教習まで通ったというのに、白紙に戻していいのだろうか。


『そりゃ、アミーゴが運転できると助かるけど、そこまで無理する必要ないやろ』

優しい夫が慰めてくれたのを良い事に、すっかり車の運転は依存させてもらうことになった。

もう、私の今世で実現することは、ほぼないだろう。

あ~ぁ、映画「マトリックス」であったように、コンセントをつないだら、その能力がチューニングされるといいのになぁ。

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金運の咲かせ方

2010年5月1日 土曜日

金運の咲かせ方

友人のざむ姫が、「金運の咲かせ方」という著書を、めでたく出版した。

数年来の友人であり、妹のような存在でもある彼女の念願がかなって、私も本当に嬉しい。

ざむ姫、何ていうのか「カワイイっ!!」という言葉がぴったりの女性。
それでいて、包み込むように優しく、感性豊かで、時にはスルドイのが彼女の持ち味。

さて、その彼女の著書を早速読んでみた。
ページをめくりながら、自分が持つ「お金」というものに対して、どう捉えていたかを改めて考えてみた。

私は、さほど買い物が好きという訳ではない。

しかし、誰しも経験があると思うが、例えば電化用品なんかは、壊れる時期が重なることが多い。で、いつもの自分以上に財布からお金が飛んでいく訳だが・・・

そりゃ、買った当初は新しい製品へのワクワク感もあり、アドレナリンが若干でる。
が、そんな高揚感はすぐにさめて、どことなく後ろめたさが忍び寄ってくる。

「あぁ・・・使いすぎたかなぁ」

別にカードを使いすぎたっていう訳でないし、罪悪感を感じるのもバカバカしい。
頭では分かるけど、それがにじみ出てしまうんだよね。

この気持ちは、どこから来るのだろうか・・・

ざむ姫の「金運の咲かせ方」では、スパッと指摘してる。

その指摘に、私は大きく頷いた。

私にとっては、母親だろう。
つまり、自分の両親が、お金とどう向き合ったが、自分とお金の関係に影響を及ぼしているということだ。

戦後に子供時代を過ごした私の母親には、ある言葉を日々、念仏のように唱えていた。

「もったいない」

  • ごはんを残すとき
  • 景品で使わないものを捨てようとするとき
  • 外食で高いメニューを注文しようとしたとき
必ず、この決まり文句が出てくる。

「そうか、無駄遣いは”悪”なのか・・」
気がつけば、そんな思いが自然に身についた。

この「もったいない精神」は、私のDNAに染み込んでいる。

高くてカッコイイ服を買うよりも、手頃な価格で長く着れそうな服が手に入った時の方が嬉しいし、買う予定のものが、家にあるもので間に合うと知ったときに、ブワーンとアドレナリンが放出される。

また、お金持ちを見る目にも、それは現れている。

愛用ジェット機で外国の別荘に行くお金持ちよりも、「毎日、電車で通勤してますよ」と堅実な暮らしを買えないお金持ちにほっとするというか、シンパシーを感じる。
(なので、少し前に流行った BOBOSはいいなぁと思う)

このもったいない志向、決してイヤではない。
むしろ、親からのギフトだなぁと、今では思っている。


こんな私だから、ハメを外した浪費ぶりを発揮する方が難しい。
(以前の中村うさぎさんって、ある意味、すごいと思う。
全く違う人種なので、腹が立つどころか、へぇぇーっと関心することしかり)

たまに使いすぎたときくらい、優しく見守ってあげる余裕があってもイイかもね。

PS ざむ姫さんの出版記念キャンペーンは、売り切れ続出につき
当初の予定から延期して、2010年5月5日まで開催しているそうです。

詳しくはこちら

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私たちが見る夢を変える-チェンジザドリーム・シンポジウム

2010年4月13日 火曜日

幸せになるための ◯◯の法則

こういったノウハウとも言うべきものが、巷では出回っている。
その中身は、「人の悪口を言わない」「いつも感謝の心をもつ」「キレイな言葉を使う」など。

その事自体に全くの異論はないし、人格を高める手助けにはなるだろうな、と思う。

ただ・・・何となく、そこで実現できるという「幸せ」という状態が、間違いとは思わないが、どこか薄っぺらいものに感じて仕方がなかった。

なぜだろう・・・と、何となくモヤモヤしていたものがあるが、あるシンポジウムに参加して、その正体が分かった気がした。

「チェンジザドリーム・シンポジウム」

これはどういうシンポジウムなのか? 公式サイトからの説明文を参考にすると

Pachamama AllianceというアメリカのNPO法人が、南米アマゾンで昔ながらの伝統的な暮らしを守り続けている原住民からの呼びかけに応える形で開発したものだそう。

地球温暖化を含む環境の破壊、人種差別や貧富の格差、先進国を中心とした精神疾患の増加などの問題に対して、主催者が答えを提供するというよりも、一人ひとりが深く考え、自分なりの答えを見つけるきっかけを提供する参加体験型プログラムである。

詳しくはこちら

コーチングトレーニング会社として有名な、CTIジャパン創設者の榎本英剛さんが、日本に紹介したプロブラムでもあり、友人・知人コーチが多数ファシリテーターとして活躍している。彼らから話を漏れ伝えられてたこともあり、前から興味はあった。

今回のシンポジウムは、今の地球の状況を伝えるDVDの鑑賞が2時間と、それを観た感想などを話しあう対話会(1時間強)で構成された。
(正式バージョンの短縮版らしい)

DVDでは、地球の生態系が壊れている現状、欠乏感を土台とする飽くなき消費に明け暮れる先進国の人々と、大量に排出される使い捨てのゴミの山などが映し出されてた。

私は普段、それほどエコに熱心ではなく、正直言って、問題意識も人並みだったと思う。

それでも、DVDを見ながら、私は何度も何度も泣きそうになった。

数百万年の時を経て生き残った動物たち。それが環境破壊が元に、絶滅の危機に追いやられた動物たちを見て、心の奥が嗚咽した。

「かわいそう」とか、そういうレベルの感情ではない。
自分ではどうしようもなく、途方もなく悲しくて仕方がないのだ。

それは顕在意識と繋がってるいつもの自分ではなく、もっともっと奥深い、何かと繋がっているところからの揺さぶりでもあった。

人間に、こんなことをする権利があるんだろうか・・・

こんなことをするために、地球に存在しているのだろうか・・・

もっと、人間には大きな役割があるのではなかろうか。

人生で起こる様々な出来事や学びを通して、自分を高め、周りも尊重しながら、幸せな仲間、コミュニティ、世界を築いていく。
それは素晴らしいことであり、コーチングに携わっていくと、人々からそのようなメッセージを聞くことが多い。

ただそれは、どこかが日々汚されていく土台の上で築く、幸せなんだろうか。

地球のどこかで、動植物が悲鳴をあげ、途上国では搾取が繰り広げられている。
それを、どこか遠くで行われていることと耳を傾けず、自分や周りの幸せを追求する-

それでいいのだろうか。

今のような科学が発達した世の中は、人々に便利さをもたらし、私もその生活を享受している。より便利なものへと突き動かされる気持ちは、私も充分に持っている。

その快適な生活と引換えに、自分たちが住むところ・土台が壊されていく。

その真実が、普段は目を覆われて見えなくとも、絶対に、人間たちの深いところを蝕んでいる。

私たちは繋がっている--この観念的な言葉が、真実味を持って、私に迫ってきた。

CTIジャパン創設者で、10年以上前はコーチングの普及に尽力を尽くした榎本さんが、コーチングから、この活動へとシフトチェンジしたのが、何となく分かるような気がした。

理想を大きく掲げ、日々を共にする家族や仲間を大切にしないのも
周りが豊かになればそれでいいと、世界で起きていることから目を逸らすのも

どちらも、魂は満たされない。
両方大事で、両輪を取り組んでいくことが、真の幸せ、豊かさへの道だと私は思う。

それは、私はどこかで、深いところで分かっていたことだ。
その事を、このシンポジウムで、再認識出来た。

とても貴重な体験だった。
また機会があれば、参加していきたいし、出来ることから、私も取り組んでいきたい。


※ 最後に「私が出来る 小さなこと」の発表を。

消費行動を見直すこと!
安いだけではなく、多少高くても、製造に携わる人々が正当な報酬を得て、
正当な価格が提示されているものを購入する。
全部でなくていいので、少しずつでもフェアトレード品を周りに増やそう、と決意した。


倹約型で、お得大好きな私にとって、これも大きなチャレンジだわっ。

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