昨日のブログで、「もしも命があと一年・・・一週間だったら?」という問いを立ててみたが、
偶然にも、私の友人がブログで、真逆の問いを発していた。
「もしも今の肉体のままで、命が無限だったら、何をするでしょうか?」
彼女の問いは上記そのものではないが、私はこのように解釈し、改めて思索にふけってみた。
命に制限を加えての問いはよく見かける。
が、無制限になったとしたら・・・という問いは、あまり見かけたことがない。
うーん、逆に制限が無くなったら、何をしたいかな~。
この問いに対する、明確な答えは私の中でまた出てきていない。
が、もしこの肉体のままで、不老不死になったとしたら・・・
これは人間の存在を、根本から揺るがすものではなかろうか。
私たち人間は、地球上の生物といってもいいだろうか、命には限りがあるという大前提で生きている。
自分たちの中にある様々な考えや思想を取り外しても、この大前提だけは動かしもない真実とされている。
が、当たり前すぎて、抵抗の余地もなかった、この大前提が無くなってしまったら
ある時を境に、命の制限が無くなってしまったら・・・
そんな人類史上、未曾有の大転換が起こってしまったら、この人間社会はどうなるのだろう??
だって、社会の仕組み、思想の根本背景からして、「人はいつか死ぬ」というものが組み込まれている。そこも、根本的に組み替えていく必要がでるだろう。
また、いつかは死ぬことを前提とした、「よりよく生きるには?」の問いが
「よりよく生き続けるには?」という問いに転換される。
改めて、問う。
「もしも今の肉体のままで(健康状態も良好なまま)、命が無限だったら・・・・」
今、心に思う夢に向かって邁進し、かなりの時間を経て叶う人もいるだろう。
もっとも、独裁者となって、世界征服も出来るかもしれない。
しかし、成し遂げられた先にも、まだ人生が脈々と続いていく・・・となったとき、どうなんだろう??
人は幸せを感じ続けることが出来るのだろうか?
人生に飽きることなく、生き続けることが出来るのだろうか?
・・・これも、私には答えがない。思考実験のようなものだから。
ただ、何となく思うことがある。
恐らくエゴを満たし続けるだけでは、幸せを感じながら、膨大な時間を生き続けるのは難しいだろう。
いいかげん、飽きてくるような気がするなぁ。
怠惰になるにもいいけど、それでも時間が有り余る。
そうなると、自分の境地も別の次元にいかなあかん!ということで、悟りとかに自然と向かっていくかもしれないね。
今の私たちの多くは、命の制限を感じたとき、生を輝かそうという動きになる。
逆に、命が無制限になっても、今とは別の形で、生を輝かさざるえないかもしれないなぁ。
とまぁ、とりとめもなく、結論もない話となったが。
いつもとは違う頭が刺激されて、面白い機会となった。
これからも、折をみて、考えてみようかな。









早速、取り上げてくださってありがとう(^^)
アミーゴが、私が思っているのと一番近い発想をしてくれました。
でも、別の友人の全く違う視点も、すごく刺激になりましたね。
コーチングでも、ソースでも、命に制限を加えての問いはあったけど
逆は無かったなぁ・・・なんてふと思って、思いついた問いでした。
命に制限がある問いだと、なんか悲壮感が漂うのがイヤで(笑)
お金も時間もたっぷりあったら何をする?っていう問いよりも、さらに自由に考えられそうな気がしてね~。
私の場合は、知的好奇心を満たすことや、身近なヒトと心が通じ合えた!と思える瞬間を積み重ねることや、ユーモアやサプライズを演出して周りの人が楽しんでくれたり、喜んでくれたりすることや、すばらしい対話が出来たりなんかすると、飽きずに過ごせるんじゃないかなぁ、という意見で、今のところ落ち着いております。
で、よく考えたらそれって、無限の命じゃなくても出来ることなんだよね~。
うん、こちらこそ、とても味わい深い問いを投げてくれて、ありがとうね。
制限があるからこそ、パワーが湧いてくるという思考に慣れている?私たちは、逆に、全くの制限が無くなったら、それこそ持て余してしまって・・・
逃げたくなるかもしれないなぁ。
よく言うよね。一代で財を築いた後、セミリタイヤで悠々自適に過ごし、お金も時間も自由に持てるようになり、ハッピーエンドで終りかと思いきや
実は、鬱を発症するケースもよく見られるということを。
私も含めて、多くの人は無限のモノを扱うのに慣れてないかもしれないけど、逆に言えば、これまでのパラダイムを、丸ごとひっくり返す機会にもなるかもね。