争いは正当性を訴える気持ちから

Aを選ぶか、Bを選ぶか

二者択一のはざまで迷いましたが、先日ある決断をしました。

迷いが生じるのは、どちらを選んでもメリットがあり、デメリットがあったからですね。

相手に決断を伝えましたが、幸いにもそれで了承してもらえたのです。

今までは決断を伝えるとき、選んだ理由も一緒に伝えることが多かったのですが。

今回はソレをしませんでした。

 

それでスッキリ・・・とはいかず、少し釈然としない気持ちも正直ありました。

甲乙つけがたい状態で選んだのですから、決断への不安が無いとは言いがたいのです。

「私は間違っていない。なぜなら・・・。」

何よりも、自分が安心したいからですが。

選んだ理由、その正当性を相手に訴えたくなる衝動もありました。

ただ、それを訴えたとしても、自分の意図どおりに伝わるとは限らないですね。

受け入れ先を失った正当性は、すぐに相手への否定に移っていくでしょう。

決断は正しかった、そう自分に納得させられる、てっとり早い手段ですから。

 

そもそも、私は正しい・間違いで決断した訳ではありません。

たた片方を選んだだけで、真実はその一点のみです。

選んだ理由をもっともらしく、幾らでも並べることが可能ですが。

何かでこじれると、自分の正しさを認めてもらわなければ気が済まなくなるでしょう。

それは泥沼化になりかねない、不毛な争いでしかないのではないでしょうか。

 

たとえ関係性が壊れても、自分の意志をしっかりと相手に伝えなければならない

そんな局面もあるでしょう。

そこに正当性を持ち込んでしまう気持ちはよほど意識しないと、相手への否定、それが高じての卑下や罵倒へとかんたんに繋がります。

「あの人は分かってない」

それが、あらゆるところで争いが絶えない構造とも繋がっているのではないでしょうか。