美人はかくしてつくられる
以前、友人と待ち合わせしたときのことです。
「あーっ、久しぶり!」
甲高い声に振り向くと、私のすぐ隣で立っていた女性に、ワーッと手をふる女性の姿がありました。
傍らには、6歳くらいの女児の姿を連れてます。
キャピキャピと再会をはしゃいだあと、女の子をみて声をあげました。
「あーーっ、◯◯ちゃん、大きくなったねーー。
いやぁーーっ、ほーんと可愛いねぇ~。」
確かにその女の子は、キッズモデル顔負けのカワイさでした。
「えーーっ、アリエル(ディズニー映画リトルマーメイドの主人公)の方がカワイイもーーん。」
当の本人は、褒め言葉に今ひとつ反応してませんが。
「わーー、可愛い。」
「美人さんだね。お父さん、心配だろうなぁ。」
「将来、モデルとかどう?」
その後に現れた友人たちも続々と、ひとしきり女の子に歓声をあげてました。
「いやぁ~。そうかなぁ。」
母親の方は謙遜しつつも、まんざらでもない様子でした。
女優やモデルになる人は、デビュー当初から美貌を誇っていますが。
露出が増え、売れてくるにつれ、美しさに拍車がかかりますよね。
それはそうでしょう。
周りからの声やエネルギーは、アイデンティティにモロ影響を与えます。
「キレイ」「美人」と日々言われ続けた結果、もともとの素材が研磨され、磨きがかかるのでしょう。
成長した大人でもそうですから。
私が出くわした美少女のように、幼い頃からあれだけ「カワイーーー」「美人だなぁ」との声を浴び続けてきたらどうでしょうか。
そのアイデンティティは、無意識下ですくすくと根づいていくでしょう。
ただ本人的にはイヤミもなく、当たり前すぎるのかもしれませんね。
私の学生時代の友人にも一人いました。
学校でも1・2を争うほど美貌の持ち主でしたが、本人はどこ吹く風でした。
決まり文句かのごとく言われ続けると、褒め言葉にはならないようです。
ひそかに困惑の顔すらみせてました。
体育会系で、さほどメイクやファッションに凝ることも無かった彼女ですが。
大人になっても、素材としての美貌を保ち続けました。
まさに、無意識的に育まれたアイデンティティの賜物かもしれません。
ツラツラと思い出しているうちに、私の方も待ち合わせた友人がやってきて、その場を立ち去りましたが。
かくして美人はつくられる
無意識のなかに、アイデンティティという杭が打たれていく様を目の当たりにした出来事でした。