悲しみが癒されるのを待つ在り方
最近、薄い味付けの映画に魅力を感じます。
小津安二郎監督の「東京物語」は、品の良い和定食でした。
映画のクライマックスで、長年連れ添ってきた妻が突然の病でこの世を去りました。
笠智衆さん演じる主役・平山周吉は最後まで涙を見せません。
ただただ静かな眼差しで、悲しみをにじませたのでした。
私たちは何かを大切なものを失ったとき
身を切るような別離をしたとき
重みを増す悲しみを何とかしようと、もがきます。
気分転換を試みたり
誰かに胸のうちを吐き出したり
仕事に打ち込んだりと
出来るだけ早く、以前の状態に立て直そうとしますが。
「一人になると、急に日が長うなりますわ。」
妻がいなくなった自宅で、周吉はうちわをあおぎ、日が暮れていくさまを遠く眺めるばかりでした。
現代は忙しく、悲しみに浸りきる時間をも許されないかもしれません。
東京物語でも、その象徴となる人物が描かれてました。
周吉の長女・志げは危篤の報を受け、仕事への気がかりを抱えたまま、東京から尾道の実家へと駆けつけます。
母の死に際して、誰よりも早く、そしてほとばしるほど泣いたのです。
泣くだけ泣き、葬式の段取りを付け、遺品をもらい、バタバタと東京へ戻っていきました。
映画のなかで、映画のカット割りを観ているようでした。
悲しみさえも一挙に流すがごとくは、私にも身に覚えがあり、チクリとします。
時間を信頼し、氷がじわーっと溶けゆくのを待つ周吉とは、対称的です。
失ったものを、別の何かで埋めようとせず
誰かと分かち合うのでもなく 癒そうともせず
欠けたものは ただ欠けたままで 生きる
あるがままの周吉に、「禅”的な佇まい」を見出したのでした。