楽しみが、楽しみを奪う

お酒が日常生活で姿を消してから、半年以上経ちました。

完全な断酒ではないものの、飲む頻度は月に1~2度、ビールかワイン1杯程度でしょうか。

お酒から距離を置いてみて、改めて愕然としたことがあります。

「楽しみを奪われていた」

そのことに気づいたのです。

晩酌でぽわ~んとほろ酔い気分に浸りながら、前菜をつまむのは、解放感あふれる時間でした。

脳がゆるんでいくかの快楽は、なかなか得がたいものがあるのですが。

ただ時と場合にとって、夕食時にお酒が飲めない、出てこないこともあります。

お酒がない、その1点だけで、四季折々の食卓さえ色褪せてみえたことも事実です。

そんな私が自宅での晩酌を辞めてから、しばらくは物足りなさを感じてました。

次第にですが、ただの「夕食」、普通の家庭料理を食べるという行為だけでも、心からの楽しみを感じられるようになったのです。

お酒がもたらす甘美な愉しみが、素朴な楽しみを飲み込んでいたのかもしれません。

今回は「お酒」のことを取り上げましたが。

私たちが日常で「楽しみ」を得るということは、別の断面もセットでもたらされます。

それが得られなかったときの「悲しみ」そして「渇望感」

何かを楽しみにさえしなければ、味わう必要すら無かったことですね。

光が大きければ、影も等しく大きくなる とは言いますが。

お酒のような刺激が強い「楽しみ」は、それが無い場所を殺風景に変えてしまうのでしょうか。