失うものをもつ強さ

「勝ったーーー。」

日本中が見守った氷上の上で、身体の底から叫ぶ勇者のすがたに

私もふるえて、涙が止まりませんでした。

 

ユルユルではありますが、私は羽生選手のファンです。

きっかけは、ソチ五輪のショートプログラム。彼の演技は、何とも言葉にしがたい何かに触れました。

 

彼が醸し出す そこはかとない透明感

存在が発する音、その響き。

しかも、けっして無垢ではないのです。

何かを濾過したあとの透明感といいましょうか。

 

日本中、いや世界中からのオリンピック二連覇への熱い期待

そして出身地の仙台をはじめとした、被災地の復興への願い

19歳にして世界のTOPに立ってから、様々な思いを背負うことになりました。

それは私では想像もできないほどの重みでしょう

その上、右足に致命的なケガを負ったのです。

平昌オリンピックを欠場しても、誰からも責められる言われはありません。

しかも、金メダルは既に獲得したのですから・・・。

しかし彼は何も言わず、全てを背負ったまま、リンクに戻ってきました。

 

「もう自分にはメダルは無い。失うものは何もない。」

メダルの重圧から解放され、いい意味で開き直った米国のネイサン・チェン選手。

SPの不振が心から惜しまれるほど、フリーでは会心の演技を披露し、多くの賞賛を浴びました。

もちろん、私もそのうちの一人です。

失うもののない強さを体現したのが、ネイサン選手なら

羽生選手は逆でしょうか。

日本中、いや世界中から注がれる期待、憧れ、そして・・・時にはやっかみ

さらには 被災地の人々の願いや祈り など

さまざまなエネルギーが入り混じる 玉石混交なもの それが

彼の双肩にかかっていたのです。

しかし人々が織りなす複雑な期待を、重圧ではなく、糧へと変えました。

「右足が頑張ってくれた。感謝しかない」

糧となったエネルギーは、右足の負傷を超え、金メダルへのジャンプへと羽ばたいたのです。

 

失うものを持つ そのことを強さに変え

全てに感謝へと変える存在へと進化した姿に

私も そして日本中の方々も 心の底から敬意を評したのではないでしょうか。