普通という名の暴力 -コンビニ人間

小説は好きなのですが、なかなか読む時間がとれません。

それでも今年、何冊かは読んだ中で、とっておきの一冊と出会いました。

コンビニ人間 (文春文庫)

第155回芥川賞を受賞し、既にベストセラーとなった作品なのでご存知の方も多いでしょう。

これほど鮮やかに書ききった小説をみたことがありません。

普通という名の暴力を

主人公の恵子は、「普通」の就職をしたこともなく、結婚どころか恋愛さえ経験のない37歳の女性です。大学卒業後、ずっと同じコンビニでバイトを続けています。

人や物事に対して、「普通はこうふるまう」「普通はこういう感情を持つはず」
行動や感情における 暗黙の作法がりますが・・・それが恵子には分かりません。

どうも自分は普通とは違う、それは分かりつつも。

「そんな私を分かってほしい」という承認欲求すらないですし、「普通にならなきゃ」という焦りもありません。

ただ「普通の人間たるもの」を分からないがゆえに、周りとの衝突は避けられません。「普通という同調圧力」に適応するため、周りの人たちを完コピする戦略を立てました。

「周りの人が怒っていることに、自分も一緒に怒れば、周りも安心してもらえるんだな。」
「普通の30代女性の身だしなみは、あの人を真似ればいいんだな。」

周りの人の様子をつぶさに観察し、モデリングすることで、「普通の30代女性マニュアル」を自分なりに作っていったのです。

先ほど書いたとおり、彼女は一度も就職したことがなく、結婚したこともありません。

そのことは、彼女にとっては本当にどうでもいいことなんですが。

しかし周りが・・・親兄弟や昔からの同級生たちが、納得できないのです。

いや、安心できないのでしょう。

この世界は共同幻想で支えられています。だからこそ暗黙の了解で、福沢諭吉が印刷された紙切れに、命をも左右するほどの価値を置くのです。

暗黙は、ものの感じ方や人の生き方まで規定してきます。

「正社員として、もしくは手に職を活かして働くこと」
「結婚すること」「子供がいること」

この3つは持ってるだけでは褒められませんが、社会に渡り歩くには無難なパスポートです。

「なぜ、結婚してるの?」「なぜ、子供がいるの?」
とは誰も聞いてきません。しかし、一つでも持たないと疑問を投げかけられます。

まして3つ全てを持たない恵子は、家族や古い友人から「異物」扱いされるのです。

タチが悪いことに、「普通の人」が望む反応を、恵子はしてくれません。

何も引け目を感じてないし、むしろ、「なぜ、そうしなくてはいけないのか」が分からないからですが。

より多くの人がそうだと、無意識レベルで信じなければ、共同幻想は成り立ちません。

恵子みたいな存在は、共同幻想に疑問を投げかけてきます。

だからこそ、「普通」が通用しない存在は都合が悪く、静かに排除されるのです。

恵子の周りが、恵子を「普通」に治そうとする躍起になる姿は、どこか滑稽です。

しかし、私だって無自覚で、普通という暴力を他人にふるっているでしょう。

同時に、私のなかにもいるのです。

「恵子」が。

そこを呼び覚ましてくれた 素晴らしい作品でした。