ボクは坊さん

2001年から2008年まで「ほぼ日刊イトイ新聞」で連載し、のちに書籍として出版された実話エピソードを映画化した作品です。

24歳で四国八十八箇所の札所・栄福寺の住職になった白川密成さんを演じるのは、伊藤淳史さん。丸刈りがとても似合ってます。

仏さまのように大衆を慈しむ存在
お坊さんに求める姿とは、このようなのものでしょうか。

その職業に就いたからといって、すぐに「あるべき姿」を体現できないのは、私たちも分かっています。

高野山大学を卒業後、一度は別の仕事に就いた光円さん。24歳で住職だった祖父の跡を継ぐ決意をしたのですが。
お坊さんである前に、一人の人間として悶々とし、ときには酔いつぶれるまで飲んだくれてしまうこともあります。

彼には京子と真治という幼なじみが二人いるのですが、京子が病に倒れます。
その姿をみるのが耐え切れないと、真治が嘆きだしました。
光円さんは、修行した密教の教えを伝えながら、真治を励まそうとしましたが。

真治は、まっすぐすぎるほど本心を問うたのです。
「お前は本当にそう思ってるのかよ」

お坊さんでなくても、教師やコーチ、もしくは管理職、子どもの親にいたるまで
誰かを導いていく立場の人なら誰でも、一度はこの問いに向きあうでしょうか・・・。

そう教えられた、もしくは、そうあるべきだけれども
自分自身、はたして心からそう思って言っているのかどうか・・・

「こうあるべき」と、立場上で語るのは簡単です。
しかし、どんなに熱く語っても、自分の身体から出たことばでなければ、相手には本当のところは伝わりません。

お坊さんである光円さん。仏の教えを語ることはできても、その境地から語っているかどうかは、本人が一番よく分かっているのです。

だから苦しみ、葛藤するのですが・・・。

「仏の教えに身体でぶつかってゆく」
イッセー尾形さん演じる檀家の長老が、光円さんを見守りながら語った言葉です。

遠い時代を経て脈々と伝わる、弘法大師・空海が遺した教え、その真の意味は、すぐ体得できるようなものではありません。
一生をかけて、光円さんが身体ごとぶつかっていくなかで、やがて血となり肉となるのでしょう。

立場が人を変える、だとしたら
お坊さんという仕事が、光円さんに人として生きる道を導いていくのだと思います。

それは、どんな職業どんな立場でもいえることではないでしょうか