奇蹟がくれた数式
文系バリバリの私には、映画に出てくる数式はチンプンカンプンですし、1729というナンバーをみても「4ケタの数字」でしかないのですが・・・。
数学者の眼にうつる数字は、いつも何かを訴えてくるようです。
以前ブログにも書いたことがあるのですが。
映画の主人公であるシュリニヴァーサ・アイヤンガー・ラマヌジャンを知ったのは、数学者・藤原正彦さんの著書「天才の栄光と挫折—数学者列伝 (文春文庫)」「心は孤独な数学者(新潮社)」からです。
ラマヌジャンの天才ぶりがどこまでぶっ飛んでたのか、むしろ映画より、これらの書籍の方が詳細に描かれていました。
20世紀初頭、英国支配下のインドにて、正当な教育を受けず、独自で数学的才能を開花させたラマヌジャン。
異彩を放つ彼の才能を見抜き、英国へと招聘した数学者ハーディの元に、ラマヌジャンは毎朝、半ダースほどの新しい定理をもって現れたそうです。
(門外漢の私にはその凄さが分からないのですが、藤原先生によると一年に半ダース発見できれば優秀な数学者と言えるそうですから・・・。)
その奇妙な数式や公式は、決して荒唐無稽ではなく、本物の匂いは漂う。
しかし、その正しさを証明できるのは、ラマヌジャン本人でさえも無理だったそうです。
そもそも彼は証明の概念や重要性すら、本当には分かっていなかったのですから。
ラマヌジャンは「我々の百倍も頭がよい」という天才ではない。「なぜそんな公式を思い付いたのか見当がつかない」という天才なのである。
心は孤独な数学者/藤原正彦 著(新潮社)
映画のなかでも、ハーディがラマヌジャンにそのことを問う場面がありました。
躊躇しながらも、ラマヌジャンは答えたのです。
「信じられないかもしれないが、夢のなかでナマギーリ神(ヒンズー教の女神)が教えてくれる」
直観や発想の源が信仰によるとは、一般的な理性では戯言にすぎないと一蹴しがちですが。
しかし、映画のなかでラマヌジャンが何かが降りてきたように一心不乱に公式を書き写す姿をみると、反論の余地すらなくなります。
アインシュタインの特殊相対性理論は、アインシュタインがいなくても、二年以内に誰かが発見したと言われる。
心は孤独な数学者/藤原正彦 著(新潮社)
数学における論理的必然を検証すると、論考を重ねていけば、誰かが特殊相対性理論にたどり着いた可能性が高いとのことです。言い換えれば、論考ではあと2年はかかるところを、アインシュタインは2年先取りしたのでしょう。
ワープも2年分ならば、かろうじて周りの理解力も追いつける差異だったかもしれません。
しかし、ラマヌジャンが繋がった叡智は、さらに遠くの未来でした。
ハーディらが死去したあと、ラマヌジャンが発見した公式や数式のいくつかは重要性を理解できる人がいなかったせいで、手付かずのまま放置されていたのです。
ラマヌジャンの死後50年近くたって、偶然目にした数学者が公式を前に身震いしました。
合計3254個の公式を残したそうですが、それらの証明が全て完了したのは、彼の死後から77年も経った1997年です。これまた驚くことに、誤りは少なかったそうです。
ラマヌジャンが繋がった叡智は、80年近くの時空をワープしたのでした。
後世、証明に関わった数学者が「公式が与えられてそれを証明する作業だからまだ進められたが,当時の数学の水準でどうすればこのような式に思い至れるのかは説明が見当たらない」とこぼしたそうです。
その知性は気が遠くなるほど先を行き過ぎていて、周りも天才か狂人かの判断すらつかなかったといいます。
時代がようやくラマヌジャンに追いついてきたと言えるのではないでしょうか。
証明はたどり着いたがラマヌジャンの動機、洞察、証明、知恵などについては何も分かっていないのである。 (心は孤独な数学者より)
ラマヌジャンの生誕から100年、一つひとつ階段を踏むように論理が、数学の発展が彼の遺したものにたどり着きました。
それでも、彼が遺した遺産の片側が判明しただけです。
なぜ、この公式を編み出すことができたのか - ラマヌジャン最大の謎は、依然ベールに包まれたままです。
時空を超えた叡智にどう繋がるのか、そこを追い求めていくのが、次の100年に手渡された課題かもしれません。
今度は直観や発想の分野ですから、コツコツ論考を重ねていくやり方からは大転換が求められます。
論理による理解は時間の制約を受けますが、直感や発想はもっと自由に時空を行き来できるのでしょう。
蜘蛛の糸に垂れ下がった叡智と、一瞬でつかめるのかもしれません。
ラマヌジャンが遺したもの、筆頭はさまざまな分野に応用できる美しい公式群を遺したことでしょうが。
人ははてしない叡智と繋がることができる、それを存在で示したこともギフトだと私は思います。