永い言い訳
7年前の主演作「おくりびと」で見事な納棺師役を演じた本木雅弘さんが、今度は自己チューでグタグダな小説家を演じきりました。
「これは素の自分に近い」とご本人はインタビューで答えてましたが。
「えーーっ、あんな人なん?」
いちファンとしては、軽くショックでした。
長年連れ添った妻・夏子をバス事故で亡くした主人公・幸夫。
有名作家であるがゆえ、お葬式の模様がTVで流れました。
喪主としてのスピーチのあと、涙をぬぐう幸夫。
しかし、それは仕草にしかすぎませんでした。
自宅にもどり、ひたすらネットでエゴサーチをする幸夫の姿があります。
ウソ泣きがバレていないかどうかを、確かめるためでした。
夏子は親友のゆきと一緒に旅行に出かけ、その道中のバス事故で二人とも亡くなりました。
竹原ピストルさん演じる大宮は、親友ゆきの夫です。
幸夫と対称的に、大宮は奥さんを喪った悲しみで涙が止まりません。
・・・そうであってほしいのですよね。
最愛の妻を亡くした夫が嘆く悲しむ姿から・・・夫婦の絆の深さが伝わってきますから。
逆に泣けない、悲しまない姿をみると、どうでしょうか。
そぐわない風景に、周りの方が戸惑ってしまいます。
幸夫は妻を亡くした心境を、どう捉えたらいいのか持て余していました。
けっして悲しくないわけではない。むしろ・・・でも、分からない。
自分でも、本当の思いに手が届かないのです。
今では何かともらい泣きする、号泣路線な私ですが。
自分の感情や感覚にフタをしていた、昔の私とダブるのかもしれません。
例えば、誰かの送別会で周りがワンワン泣くシーンを思い出します。
泣いてる女子が愛らしく見えるなかで、私一人、シラフでした。
お前の姿は白けるよと言われたこともあります。
しかし、何も感じていないわけではないのです。
何らかの思いはうごめいていても、それが分かりやすく表出されない。
善良ぶっていても、実は血が通っていない。
人として何かが欠けているのではないか・・・自分でも恐れていました。
大宮みたいに、ワーーっとと泣ける人が私も羨ましかったのです。
いろいろなきっかけを経て、感情や感覚が開放された今では、蛇口がすっかり緩くなりました。
涙を暗に求められる場面で泣けると、昔の自分がホッとします。
暗黙の了解のもとに、場面場面で求められる感情はありますが。
いつもいつも、自分の感情がうまくハマるわけではないのです。
妻をどれだけ愛してたか。
喪失感はどれほど深いのか
幸夫は、気づくタイミングがズレてばかりでした。
身近な人を喪ったとき すぐに涙に変わる人ばかりではない
自分の感情をうまく掬い上げられる人ばかりではない
そのことを、不器用な幸夫が体現してくれました。