ペンギン・ハイウェイ
「なんだか、よく分からなかった・・・」
映画館を出たあと、呆然とした気持ちが尾を引いたままでした。
こんな荒唐無稽な映画 もうお手上げーー
難解すぎて、私では理解不能だぁ・・・そんな類だったら、あきらめも早いのですが。
もう少し頑張って背伸びすれば 手に届きそうな 高い棚の上のアレ
しかし、指をピーンとはっても あと一歩 届きそうで つかめない
それが、私にとっての本作の分からなさです。
心の中で うーん の連呼が鳴り響きました。
主役のアオヤマ君の街で、突然ペンギンが現れたところから、ものがたりは始動します。
少年が抱くお姉さんへのひと夏の初恋といった 表層で描かれるストーリーは目で追えるのですが。
しかし、それだけを描いたとは到底思えません。
- 深い深い森の奥をぬけて 突如あらわれた 広々とした平原
- そこにあらわれた 球体のカタチをした海
- アオヤマ君が慕う 不思議なお姉さんの存在。
- この世界の果て 相対性理論 ジャバウォック
本作のなかには、謎めいた手がかりが散りばめられてますが。
ペンギン や 海が象徴するものは何なのか?
作品の核となる部分を、咀嚼しきれないままでした。
こんなん分からない~ 難解だわ~ 思考停止タグをつけて終わるか
使えそうな論理を持ち込んで 当てはめてみるか
いずれにせよ、理解の落とし所を見つけようと心が動きが出すのを感じました。
そう、私はいつの間にか、待てなくなったのかもしれません。
理解できる / さっぱり分からない
謎を謎のままでは置いておけず、いずれかのカテゴリに、収めようとしてしまうのです。
人間はさまざまな現象を、科学で説明をつけてきましたが。
ー 人間はどこから生まれて 死んだらどこへ行くのか ー
人類が生まれて以来の謎は、一向に解明する気配はありません。
通常では説明がつかない不思議な現象を、私も少しは体験しましたが。
そんなの考えても仕方がない・・・説明がつかない現象と共存することも、探求することも忘れてしまいました。
今のように検索ですぐ答えが出てくるご時世だと特に、空白をすぐに埋めないと我慢できなくなるのでしょうか。
何かの暗喩として描かれた、お姉さんやペンギンの存在。
ネットの解説記事や考察をみると、なるほど!と興味ふかい見方が得られるかもしれません。
しかし、安易に空白を埋めようとする行為は、未知のなにかに出会う機会を奪ってしまいます。
「大事なことがぜんぶ一目で見られるようにだよ。そのようにして何度も何度も眺める。
どのメモとどのメモが関係あるのか、いろいろな組み合わせを頭の中で考える。
ずっと考える。ごはんを食べるときも、歩いているときも。
書いたメモが頭の中でいつも自由に飛びまわるようになる。そしたら、毎日よく眠る」「それでも 分からないときは?」
「そういうときは、わかるまで遊んでいればいいさ。遊ぶほうがいいときもあるんだよ」
謎解きは終わらない・・・
宇多田ヒカルの主題歌が 優しくささやきかけます。
自分の理解を超えたモノと対峙したとき
謎のまま 時という樽に寝かせて 発酵を待つ
その挟持も ときには大切ではないでしょうか。
ペンギンたちは 世界の中心に向かって ひたむきに歩いていきます。
真理に向かって 一直線にずんずんと・・・
それをペンギン・ハイウェイというならば、人はみな 全てが折り畳まれた叡智へと、歩みを止めない存在なのかもしれません。