なぜ人生に目的が必要なのか?
三人のレンガ職人という、有名なイソップ寓話があります。
みなさんもご存知かと思いますが、寓話の中味をかいつまんで説明しましょう。
寓話の中で、レンガを積む職人3人に「何をしているの?」と旅人は尋ねていきます。
一人目は「親方の命令で仕方なくレンガを積んでいるのさ」とぶっきらぼうに答えました。
二人目は「家族を養うために、レンガを積んで壁を作っている」と普通に答えます。
そして三人目。「ここにレンガを積んで、大聖堂を作るのです。多くの人が救われます」と目を輝かせながら話したのです。
一人目は「親方の命令で仕方なくレンガを積んでいるのさ」とぶっきらぼうに答えました。
二人目は「家族を養うために、レンガを積んで壁を作っている」と普通に答えます。
そして三人目。「ここにレンガを積んで、大聖堂を作るのです。多くの人が救われます」と目を輝かせながら話したのです。
この三人の違いは、「目的があるかどうか」「さらにどんな目的を持っているのか」ですね。
一人目はさしたる目的はありませんが、二人目と三人目はそれぞれに目的を持っています。
ただ、三人目が輝いているのは、仕事の意義が壮大な物語と繋がっているからなのでしょう。
自分が取り組んでいることが、大勢の人の喜びに結びつく- 生きていく上で、これほど大きな原動力となるものは無いと思います。
単調な作業、漫然と過ごしている日々さえも、「何のため」「誰のため」の意味付けが付与されることて、夢への道のりへと変貌を遂げますから。
いかに目的-ビジョンやミッションを持つことが重要か-
このことを分かりやすく説明した、素敵な寓話だとは思いますが。
ただ、こういうことも言えるのではないでしょうか。
あることを続けていくなかで、自分を奮い立たせるものがどうしても必要なときがあるということです。
ヴィクトール・フランクル博士は名著「夜と霧」の中で、こんなトリックを用いたという一節があります。
いつかアウシュビッツ強制収容所を出て、そこで体験した収容所の心理学を多くの聴衆の前で語るというビジョンを、彼は思い描いたのです。
心理学探求のためという意味付けを行うことで、苦しいだけの日々を何とか生き抜こうとしました。
ここまで苛酷な状況ではなくても、そこに居続けなければいけない、やり続けなければならない状況にいることもあるでしょう。
そんなときに目的-ビジョンやミッションを持つことは、砂を噛む思いに潤いを与える一筋の光となると思います。