謙虚であることの甘え
自分が大事にしているモットーや思いをブログに書いたり、人に伝えることがあります。
例えば
「その人を一面だけ観て判断すると見誤ってしまうので、多面的に観るようにする。」
これも、自分が大事にしている在り方ですね。
そう言いながらも、自分がいついかなるときも、100%出来ている訳ではありません。
出来ているなんて驕り高ぶってはいけない、そんな気持ちもはたらきますので。
「私もまだまだですけどね。」
「私も修行中です。」
そんなひとことを書き加えることもあります。
そう思うようになったきっかけはあるのです。
ときどき、ブログや講演、書籍などで「過去のワタシはこうでしたが、今はこうです!」と高らかに言い切るひとがいないでしょうか。
すっかり真に受けて、「ご立派なあの人に比べたら、自分ってまだまだ・・」と卑下した時期もありましたが。
「えーーっ、本で言ってることと実際とが・・・」
親しく接していくなかで、矛盾を突っ込みたくなる場面もたくさんあったのです。
実際にツッコミを入れたことがあるのですが、自己イメージと一致しなかったのでしょうか、猛反発をくらいました(笑)
自分を盛ってアピールしても、どこかでボロが出てしまうじゃん。
だからこそ、等身大の自分を素直に表現することを、私は大切にしています。
・・・しかし、わざわざコレを伝えるために、ブログに書いた訳ではありません。
謙虚にみえる姿勢であっても、それ自体にダークな面があることに気づいたからです。
「人としてこういう在り方が大事です」と書きながら、「私もまだまだです(笑)」と付け加えておく。
正直に謙虚に書いたつもりであっても。
これって、免罪符にもなるんですね。
また、開き直りや甘えにも繋がりやすく、かえって「在り方」が体現しにくくなります。
そう考えるとです。
「人として、こういう在り方が大事です」
高みの位置から、そう言い切る人はどうでしょうか。
人間ですから、そのときどきで矛盾が生じることなど当たり前です。
彼らは「出来てない自分」をも、白日の下にさらすリスクを取っているのです。
謙虚さでお茶をにごすのに比べると、覚悟がためされますので。
それはそれで、真摯な姿勢なのかなと思うようになったのです。
言い続けることがアファーメーションとなり、その在り方が真になるのも可能かもしれません。
それこそ、冒頭でわたしが言ったとおり、物事は一面では決められませんので。
どちらの姿勢がいいのかは、一概には言えません。
どちらにしても、陥りがちなワナを自覚しながら、在り方を磨いていくしかないのです。