運命の相手を探すように
読書が趣味になったのは、20代半ば以降です。
それまではコンビニで、マンガかファッション誌を買うくらいでした。
それが今では無類の本好きとなり、リビングにはいつでも手に取れるようにに点在しています。
本だけでは飽き足らないのか・・・スマホを開くと、ニュースや読み物、ブログなどで活字を追っています。
まるで活字漬けかと揶揄するがごとく。
そもそも、知的好奇心が旺盛なのですね。
いわゆる乱読型で、あらゆる分野の書籍に手を出してます。
しかし、何をそこまで追い求めているのでしょうか・・・
ただ、単なる好奇心だけでは説明がつかないのです。
私の中にある、渇望感を。
それを端的に表したことばに、出会いました。
大ヒット映画「君の名は。」のセリフです。
「私たちは、会えばぜったい、すぐにわかる」
映画では、見知らぬカタワレを探し求めている男女が登場しますが。
私も同じです。
膨大な活字が渦をまく時空のなかで、まるで運命の相手を探すかのごとくです。
常に探して求めています。
ことばを。
偉大な詩人からかもしれませんし
何気なく手に取った書籍の一文かもしれません。
あるいは見知らぬ誰かが書いたBlog 他愛のないヨタ話のなかに潜んでいるのでしょうか。
すぐに薄れていく朝焼けの赤い空に、永遠へとつながる黄金の輝きを見せてくれるものは、もはや、長老の語る共同体の創世神話ではなく、会ったこともない詩人が残した文字の言葉だけなのだ。
これらの言葉は、共同体にしっかりとつながれ固定された言葉とは異なり、時空の中をどこまでも浮遊して、たまたま出会った者によって捕まえられ、その魂の中に思いもかけない新しい物語を生み出す。「詩は書いた詩人のものではない。それを必要とする者のものだ。」
はるか昔は、共同体のなかで物語が語り継がれ、生きる言葉を与えられたのでしょう。
今を生きる私たちは、個々で探し求めなければならないのです。
自分を、生かすことばを。
自分に、命を吹き込むことばを
かつてのように、誰かから与えられたことばのまま生きるのでなく
自分とことばがまぐあい、新しい生命を送り出していくためにです。
いつ どこで どんな形で出会えるのかは分かりません。
ただ 一つだけ言えることがあります。
「会えばぜったい、すぐに分かる。」