ダンケルク
クリストファー・ノーラン監督が手がけた戦争映画「ダンケルク」。
戦争映画は心臓に悪いので、実は苦手です。しかし、人間を描く作品も多くてつい観てしまいます。
第二次世界大戦さなか、ドイツ軍の猛攻により英仏連合軍は、北フランスのダンケルクに追い詰められます。
時のイギリス首相ウィンストン・チャーチルは、ダンケルクからの撤退を決意。
民間も巻き込んでの救出作戦が行われ、33万人もの軍人をイギリスまで連れ帰ったのでした。
しかし、これらの背景を私が知ったのは、映画を観た後で調べたからです。
- 陸-ダンケルクの海辺で救助を待ち続ける陸軍兵士
- 海-兵士の救助のためダンケルクに船で向かう 民間人
- 空-救出作戦を援護する イギリス人パイロット
陸・海・空、3つのシーンが交差しながら、ダンケルク撤退に向けて映画は進んでいきます。
予備知識が無い私には、差し迫った状況であること自体は分かるものの、映像からは全体像が見えません。
- 今の戦況はどうなのか
- なぜダンケルクを撤退することになったか
- 敵のドイツ軍はどこまで包囲しているのか など。
今どきの映画なら冒頭のナレーションや、登場人物の説明口調によるセリフなどで、全体像が分かるようになっているのですが。
本作品はきっぱりと説明を投げ捨てたかのよう、陸で海で空での出来事を断片的な視点から映し出すだけでした。
ダンケルク浜辺の1シーン。海辺の桟橋で救助を待つ連合軍に、敵のドイツ軍が容赦なく桟橋めがけて爆撃してきます。
そんなシーンの連続で、いつ何時、敵から攻撃されるか分かりません。緊迫感が高まるばかりです。
なすすべもなく救助を待つばかりの軍人とともに、1秒先も分からない行く末を見守っていました。
クライマックス、どうやら救出されたことは分かりましたが・・・。
うーん。これがベタなハリウッド映画なら、もっと感動的に救出劇を描くのに。
そうすれば、ベタに感動できるのになぁ。
すっきりしない後味が、しばらく心に残りました。
しかし時が消化をもたらして、味わいが変わったのです。
後世の人間がつくるからこそ、映画の中で全体的な背景も描き出せます。
その時代、今ここを生きた、一兵士や一市民が同じ視点に立つことはできませんし。
それは、指導者層であってもさほど変わらないでしょう。
本当はどうするべきだったか・・・最善策を語るのはいつだって、歴史を振り返った人間です。
その時々に下した判断が良い結果に繋がったとしても、「結果的」という言葉が常につきまといます。
「ダンケルク」は究極の生と死 時間との戦いだ
それがどんなものか 体感してほしかった
映画の予告編でノーラン監督が語った 熱い思いです。
絶え間なく襲う陸からの銃砲、空からの爆撃、海からの魚雷・・・
いち軍人が戦場にいるというのは、どういうことか
否が応でも、体感せざるえませんでした。
自分たちが置かれている大局的な状況が分からないまま、なすがまま。
さらされ続ける命の危機に、右往左往するしかありません。
これこそがノーラン監督が映像化した世界です。
それは戦場だけに限ったことではありません。
今を生きる 現場の人間のリアルとも言えるのではないでしょうか。
そう、私たちは断片を生きるしかありません。
日々起こる出来事に、心を乱されながら
今、自分が取る行動が、下そうとする判断が、のちに後悔することになったとしても
その場その場で与えられた断片のなか、狭い視野を目一杯広げて、最善を尽くすしかありません。
その断片を明日へと繋げていくのが、人生ではないでしょうか