宿命は人にどう生きろと求めるのか

最近ひと昔前の邦画を観るのが、ひそかなマイブームです。

人間の証明、ゼロの焦点、晩春 などなど・・・。

70年代以前の映画は、今のと比べるとかなりテンポがゆっくりです。

今や名優となった方々の若かりし頃と出会うのも、楽しみの一つですね。

直近で観たのは、数多く映画化された松本清張の中でも、一番の傑作と名高いものです。

映画版「砂の器」

本作のドラマ版は、何度もリメイクされましたが、映画版は本作のみです。

まさか、こんなに泣く映画とは思いませんでした。

 

ある殺人事件と一人の若き音楽家・和賀英良がどう繋がっていくのか。

東北・出雲・伊勢などに出向き、事件の手がかりを追いかけるうちに、和賀英良の過去が明らかになっていきます。

この音楽家が作曲した曲名、それは「宿命」。

生まれつき宿っていること、逃れられないことがその意味ですが、まさに本作品そのものです。

 

ある深刻な事情で村を追われた父と子が放浪しながらも、肩を寄せ合い二人で生きてきました。

旅先で出会った元巡査・三木謙一が親子を救うのですが、それが、父と子が離れ離れになるきっかけともなったのです。

子供は過去を捨て、名前を「和賀英良」と変えました。

やがて才能を認められて、成功にむけて駆け上がっていくのですが。

まさか最高の栄誉をつかむその手前で、捨て去ったはずの過去が追いかけてくるとは・・・。

 

父と二人きりだった放浪時代、言われもない差別に虐げられ、石を投げられました。

人間の「えげつなさ」をイヤというほど、見てきたでしょう。

この親子を救った三木謙一は、村の誰からも信頼され、また誰にでも救いの手を差し伸べる人物でした。

偶然出会った乞食にすぎない、和賀の父・本浦千代吉とも長年、交流を持ち続けたほどです。

ふとしたことで「和賀英良」と名前を変えた息子を見つけ出し、何らためらうこともなく、父に会わそうと躍起になるのですが・・。

三木の言動は誠意からのもので、何ら避難されるものではありません。

しかし相手の心境を理解すること、そして相手を救うこととは別です。

過去の自分を殺すしか、生き抜くことができなかったこと

思い出の中でしか 親子でいられないこと

もし三木が、漆黒の闇から這い上がる者の気持ちを推し量ったなら、結果は違っていたのかもしれませんが。

陽の当たる場所で生きた三木の、実直すぎる「正義」が和賀の歯車を狂わせました。

さらなる悲劇は、三木自身までが取り返しがつかないことに・・・。

 

ラストシーンのリサイタルにて。

目を潤ませ、彼が歩んできた宿命をピアノに託す和賀英良。

舞台裏では、逮捕状をもった警部が待ち構えます。

波にのまれる砂のよう、築き上げたものは容赦なく崩れ去るのです。

持って生まれた宿命は 彼にどう生きることを 求めたのだろうか

名作として語り継がれる本作品は、時を超えて静かに問いかけているようでした。