自己流でしか生きることはできない
なりたい大人に、なれなかった人たちへ
このキャッチフレーズが まるで人ごとに思える人は どれだけいるでしょうか
「万引き家族」でパルムドールに輝いた是枝裕和監督による、2016年度に公開された作品
「海よりもまだ深く」
たった一度、文学賞を取ったきりの「自称小説家」の良多が主人公です。
すっかり貫禄がついた阿部寛さんが、うだつの上がらない中年オヤジを見事に演じています。
沈殿する日常のなか、浮上する機会は何度か訪れたのです。
- 小説の取材という名目で勤める探偵事務所の所長から、そろそろ本腰をとお誘いが・・・
- 漫画の原作を書いてみないかとオファーが・・・
- 別れた奥さんとのヨリが戻るかも? のチャンスが・・・
よくある映画なら、今までの苦労が実を結ぶ、逆に過去と決別して、新しい人生へと歩む、というカタチで成長物語を描くのが定石ですが。
「こんなにもビフォーアフターがない映画とは・・・。」
かすかな波風は立つものの、結局、映画の冒頭と終わりで1ミリの変化もないまま、エンドロールが流れていきました。
不思議なことに、後味は悪くありません。諦めとか、哀しみという陳腐なことばでは片付けられないものが残りました。
輪廻転生があるかどうかは別として、です。意識する範囲では、誰もが生きること自体が始めてという舞台設定で、人生は進んでいきます。
生まれて初めての子供時代、成人時代、そして老年時代。
リハーサルのない ぶっつけ本番のなかで、ソツなく生きる術を身につけ、世の中をうまく渡りきれる人ばかりでしょうか。
何をやっても 今ひとつ浮かび上がらない人を「自己責任」という切れ味は、容赦なく切り捨てていきます。
そう、誰もが命を与えられただけでは、生き方上手になれると限りません。
今日を生きるのに精一杯で、明日を変える余力もない良多にとって
「かつて賞を獲った小説家」
それは切ないほど、有効期限切れの栄光だとしても・・・
その杖があって、歩いていけるのではないでしょうか。
マニュアルなどない人生のなかで、誰もが自己流で生き抜くしかないのです。
どこにでもいそうな 市井の人々
1枚の絵巻に 昨日の 今日の 明日の営みを 同じ筆で描きゆく
生ぬるい温かさや 突き放した冷たさもなく
ありのままをただみつめる 是枝監督のまなざしは 海よりもまだ深く
そして 菩薩のようなのを感じました。