ただただ涙が溢れ出る ー蜜蜂と遠雷

 

ピアノコンクールを題材に、若き天才ピアニストたちの栄光と葛藤を描いた作品です。
私はこの小説が本当に好きでした。


好きだからこそ、映画版を観たいと思いながらも、長らく躊躇していたのです。

あの震えるほど繊細にゆらぐ世界が、映像で描かれているのだろうか・・・。

結論からいうと、小説では表現できないモノを見事に体現していました。

映画のラストシーン。
ピアノコンクール最終予選、外は大雨が降りしきっていました。

天才ピアニストとして名高かった栄伝亜夜が、演奏を弾き終えたあとに訪れたまどろみ。
ワッーっと沸き起こる 観客からの拍手のうねり
うねりの奥から少しずつ流れ込んでいく 滴り落ちる雨音と とおくで鳴り響く遠雷
それらの音が 亜夜の世界のなかで交じりあい 響き合う


その瞬間、胸の奥から途方もない涙が 溢れ出してきました。


なぜ、泣いたのだろう?
スランプから7年経って、もう一度舞台に戻ってきた姿に?
亜夜が無心で 鍵盤を叩く 静謐なすがたに心打たれたから?


感動の理由を 何とか探ろうとしましたが
どんな言葉で納得させようとしても 腑に落ちないままでした。

映画をみたあとの、よくある所作です。
つい、感動のワケを探してしまう自分がいます。

亜夜が奏でた音と 余韻が響き渡ったラストシーン
そのもの自体が 私の心の柔らかいところに届き
涙腺を刺さったのでしょう。

映画を観て 涙が溢れる。
映画と涙のあいだに 「感動」という言葉をはさんでしまいますが。
感じて動いたことに理由などなく、ただ結果だけが生じたのかもしれません。

栄伝亜夜が幼かったころ
母とともに弾くピアノの周りには、いつも音が溢れていました。

世界に漂う音をつなぎ合わせ、音楽という形でつくりあげていく
メロディはピアノを通して、世界に音符を撒き散らしていく
その音が世界に溶け込み、雨音や風の音へと姿を変え・・・
そう、亜夜はその循環のなかに いつもいた

世界が奏でる音の一部として 存在していたのでした。

母が亡くなってから、亜夜のなかにあった「音」が消え去り、ピアノが弾けなくなったのです。

ピアノコンクールで、出会った人々
かつて母のもとで共にピアノを学んだ青年や、異才ともいえる破壊的な少年たちとの出会い 
彼らと交流し、彼らの奏でが 自分のなかに混じり合っていくことで

徐々に、亜夜を優しく包み込んでいた「音」を取り戻していったのでした。

こんなに多感で壊れそうな世界を 登場人物たちの心のひだを そのまま映像に体現できるなんて!

そのこと自体も 私のこころを無言のまま 震わせたのかもしれません。