人の目という名のお天道さま
「私、ひんしゅく買ってないかなぁ?」
学生時代の友人で、やたら人の目を気にする友達がいました。
とにかくひんしゅくを避ける行動が的外れで、余計にひんしゅくを買うのが常でしたが・・・。
「そんなん、誰も気にしてないよ。」
「そんなに人の目を気にして、どうするの?」
彼女の態度はいらっとするので、本人に刺さらないと分かりつつ、つい小言をぶつけてましたが。
シャクに障る理由はたった一つです。
私も同じく「人の目を気にする」タイプだから。しかし、そんな自分を堂々とさらけ出せなかったのです。
自分のイヤな部分が目障りで、余計にイライラが募りました。
巡り巡って数年が経ったとき。
「あなたって、人の目を気にするよね。」
今度は私が言われました。そして「人の目を気にするなんて・・・。」と諭されるところまで同じでした。
ただ・・・私の捉え方は変わっていたのです
「人の目を気にする」
一般的にはネガティブに捉えられます。
確かに周りの目を気にすることで、本心が望む行動を取れないことはよくあります。
しかし、です。
全く人の目を気にしないというのも、そこまで素晴らしいことなのでしょうか。
本当に気にならなくなれば、行動の制約はかなり無くなります。
ただし人の目をモノともしないふるまいは、どうでしょう。
抑止力が効かず、周りとの軋轢を生むのではないでしょうか。
「こんな行動をしたら、不快を与えるだろう・・・。」
感知するセンサーが暴走を食い止め、不用意なふるまいを抑止します。
ハラスメントもネットへの陰湿な書き込みも、人の目が届かない場所で起こるからです。
人の目を気にする - そんな性分も使い方次第です。もちろん、ポジティブな使い方もできます。
目標達成法のひとつに、宣言効果というのがあります。
「私は困っている人を助けます!!」
たとえば大勢の人の前で宣言した場合が、そうですね。面倒だなと思う場面でも、言った手前が働き、そんな人を放っておけなくなるでしょう。
実際にカッコつけ効果を狙って、なりたい自分を宣言する人も多いです。
自分一人で、なりたい自分へと律し続けられるほど、人は強くはありません。
人の目は、世間体という名で縛ることもありますし、行き先を止めようとする遮断器にもなりますが。
勝手なふるまいを制御したり 自らを省みるお天道さまにもなると思います。