自分の内側にある深海
数年来にわたりずっと、「やりたいことリスト」に挙がっていました。
GOTOの風にのって、ついに体験したのです。
「フローティングタンク」
フローティングタンクというカプセルに入ると、五感を(完全ではないものの)遮断した状態で、水面に体を浮遊させることができます。
日本には2~3箇所でしか、フローティングタンクを体験する場所がありません。私が体験したのは、岡山のクリニックでした。
最初に軽く説明を受けたあと、いよいよ浮遊の旅へと向かいました。
貝殻のようなタンクのなかは、エブソムソルト入りのぬるめの湯で満たされています。
時間は90分。裸身を水に浮かべてみます。
しかし・・・ただただ水に浮かぶことが、案外難しい。
肩が重くて痛くて、集中できませんでした。
普段の自分の姿が、そこに反映したのでしょうか。
背後に横たわるものを信頼して、心から身を委ねるのが難しかったのです。
その状態のままだと、90分間はただ辛いだけになってしまいます。
姿勢をあれこれ工夫するなかで、後頭部を深く水に沈めてみたところ、次第に肩の痛みもなく浮かぶようになったのです。
あとは無限に続くかの静寂・・・
目を閉じて、外部の音も聞こえなくなる。
さすがに身体が水と触れ合う感覚はありますが、それ以外の五感はオフとなり、精神がむき出しになったかのようでした。
一種の無重力状態のように漂っていると、自分の存在が心もとなくなってきたのです。
普段は身体がどこかと触れ合っています。
立っているときは足裏が地面と、座っているときもお尻が座面に。
重力に支えられていた自分。
身の置きどころが失われると、そこはかとない不安に覆われました。
もちろんタンクの外壁に、手が触れることはできます。それをしてしまうと、ただただ浮かぶだけの体験ができません。恐れを抱えながら、何も触れずに漂ってみました。
時計がないので、時の経過はわかりませんが。
少しずつ浮遊に慣れてくると、ほのかだけど力強い安らぎが湧いてきました。
今この瞬間、聞こえるのは心臓の音、呼吸の音。
指の先から肩に向けての血潮の流れ。
あるいは、肩先から指にかけての血潮の流れが。
非常に静寂な時間。ウトウトと夢と覚醒の狭間を行き来する。
ただし死体のように浮かぶ間中、ずっと心地よい時間に満たされたのではありません。
時折、息が苦しくてもだえそうになる。身体の痛みがふと襲ってくる。
かと思えば、気が遠くなるほどの何もなさに途方に暮れる。
私が生きる時間もそうであるように、安らぎと息苦しさ、時に退屈とが代わる代わる訪れたのです。
終了前に流れるヒーリング音楽とともに、どこまでも続くかの時間に終わりを告げました。
身体に纏わりついた塩を洗い流し、身支度をして、クリニックを後にします。
ビルの外で、忙しなく行き交う人の流れを横目に。
私の内部でたゆとう流れは、しばらく静寂さを保ったままでした。
いつものように、スマートフォンをみる気も起こりません。
私のフローティングタンク体験は、想像通りだったところと、そうでなかったところがありましたが。
一つだけ気づいたのは、自分の中に「深海」があることです。
心を鎮め、内側に耳を済ませると、時計のない時が流れています。
地球の生物はかつて、海から命が生まれたと言われています。
私たちの血潮には、古代の歴史が流れ続けているのかもしれません。