自分の音か 誰かの音か
相談したりされたりは、日常のありふれた一コマです。
あるいは飲み会で誰かが誰かに説教というか、アドバイスを語る場に居合わせることも。
「こうこうこうだから、こうした方がいいよ。」
相手からフィードバックやアドバイスを受けたとき、じっと耳を傾けますが
「何だか・・口パクみたいだなぁ」
そんな疑問が浮かぶことが時々あります。
私は普段、クラシックやジャズをよく聴くのですが。
素人リスナーながら、モーツアルトやショパン、バッハの名曲も、演奏者によって音色や質感が変わるくらいは分かります。
ただ最近は自らが作曲し、自ら演奏する楽曲に惹かれるのです。
血と汗の匂いが染みるオリジナルからは、生み出した人の存在がヒシヒシと伝わるからでしょう。
話を戻します。
「◯◯さんが言うにはね~」
「◯◯の教えはね~」
どれだけ有名な偉人が語った名言であっても
有名な講師が語った人生訓であっても
どこかで聞いたイイ話を右から左へと受け流すだけでは、単なるコピーに終わるのです。
誰かから感銘を受けたことを、同じように誰かに伝えたくなりますが
自分の身体 - 五臓六腑を通らないことばは
その人の音ではなく、誰かの音のように聞こえます。
受け売りがすべて悪いのではありません。
◯◯さんが言った言葉そのままでも、心底の思いからだと、それは伝わるからです。
例えば歌謡曲でも、カバーが大ヒットすることがあります。
2000年代の大ヒット曲「涙そうそう」は、元々は森山良子さん・BEGINが生み出し、彼らが歌っていました。
「自分も歌いたい」と、名乗り出た歌手・夏川りみさんの腑に落ちたものが、あの歌声・あの表現になったとのことです。
例えどこで聞いた話であっても、落とし込むプロセスが大事ではないでしょうか。
ソレが本当に意味するところは どこにあるのか
どんな構造になっているのか
自分の体験や人生に どんな意味を持ったのか など
五臓六腑で充分消化したあとに、自分のことばとして新たに生み出せるのでしょう。
特に自分の存在を通して、相手に語りかけなければならないとき
その言葉がどれだけ あなたの血肉化された言葉なのか
頭ではなく、内蔵から響くあなたの音が、相手の内蔵へと繋がっていくのだと思います。