生まれ育った家庭のせいなのか?
金銭にからむ騒動が、世間やマスコミを賑わすことが時折あります。
とくに税金のムダ使い、公私混同疑惑は、真っ赤な血がさわぎますね。
例えば、首都の元知事さん。
なぜ、そこまで彼が自腹で払いたがらない、つまりケチなのか?
その原因を、ある人はひとことで言い切っていました。
「貧しい家庭に育ったせい。」
それ以上語らずとも、全て説明がついた気にさせてくれますね。
実は・・・私も身に覚えがありました。
マックのクーポンを自宅へ取りに帰ったことがあるのです(笑)
何ゆえに倹約家であるか、そう問われたことがあります。
私も同じ理由を持ち出しました。
「実家が貧乏だったんです・・・。」
逆に、自分で稼いだお金を散財して、破産する人をメディアが報じることがありますね。
なぜ、そうなったのか? その原因をコメンテーターに言わせるとこうなってました。
「貧乏家庭で育ったからでしょう。」
つまり、です。
湯水のごとくお金を使うことに憧れたのか、お金を失うことを極度に恐れたのか。
貧乏家庭で育ったといえば、放漫にも倹約にも説明がつくのですね。
使い勝手がイイのでしょうか。
だとしたら、「生まれ育ち」だけで全てを言い切ることはできないはずです。
そもそも現在に至るまで、何段階かのハシゴがあるはずですから。
私の例でいいましょう。
二言目には「もったいない」と言う母は、「コレ、安かった!」と戦利品を広げて、嬉しそうに話してました。
予想に反してお金を使わずに済んだ母の喜びが、おさない私に伝わったのでしょう。
倹約は喜びをもたらす
成長していく過程のなかで、その蜜の味を知ってしまったのです・・・。
「こんなのしか買えない・・・。もっとアレが欲しいのに・・・」
仮にですが、母がくちびるを噛みしめる姿を目に焼き付いていたら、どうでしょう。
もしくは、なけなしのお金を使い果たし、一緒にはしゃいでいたならば・・・
私の”お金との付き合い方”は、いまとは違う可能性があります。
深刻なことであれ、軽微なことであれ
「生まれた家庭」だけで全てを言い切ろうとする光景を、セラピーやカウンセリングの場でも時折みかけますが。
たとえタネが仕込まれても、どんな花に育っていくかは人によりけりではないでしょうか。