分かっていても、心配してしまうワケ
起きてもいないことを、あれこれと考えても仕方がない・・・そんなことはヒャクも承知です。
冷静に考えると、どうせアタフタするなら、実際にコトが起こってからでも遅くはないでしょう。
楽観的なひとからみると、ソコに費やす時間こそがムダにみえるかもしれません。
なのに、なぜでしょうか。
ついつい、心配してしまうのは。
これから起こりうる最悪のシュミレーション。想像が連れてくる、底はかとない恐怖。
どんなに振り払っても、心のスキマを狙ってヒタヒタと忍びよってきます。
そうなると、余白を埋めておきたくならないでしょうか。
頭のなかでアレコレ布石を打ち、心を忙しくさせることで、少なくても恐怖そのものから目を逸らすことができます。
どんな最悪なシナリオであっても、先回りしてイメージで体験しておけばどうでしょうか?
何の心構えもなく無防備でいるよりも、実際にコトが起こったときの衝撃は和らぐ気がしますし。
そう。逆説的ですが、安心したいのですね・・・心配しておくことで。
起きてもいないコトに惑わされるよりも、”今”を楽しめ!
それはごもっともです。
しかし、どんなに不条理にみえる行為でも、何らかのメリットがあるから、人はソレを選択します。
心配する行為と引き換えに、いくばくかの安心が得ているとしたら・・・理性で抑えられるものではないでしょう。