努力はいつ花を咲かせるかは分からない

「正直、これ以上ないくらい頑張ったと思います。報われない努力だったかもしれないけど。」

言わずとしれた、北京五輪の男子フィギュアスケート・フリーが終わった直後の、羽生結弦選手から出た言葉です。目をうるませ、無念さがにじみ出る姿に、私も涙があふれました。

報われない努力・・・その言葉が私のなかで、こだまのよう響き渡ります。

私たちは何のために「努力」をするのか?
何かの目標を持つとき、そこに到達する手段として行います。

私たちが小さく蒔いた種が、やがて大輪の花を咲かせることを信じて・・・
来たる日のために土壌を耕していくのです。

しかし、開花はもちろん、種が発芽する保証すらどこにもありません。

私たちは「努力する」と、ついそれに見合った結果を求めてしまいますが。
それが必ずしも叶う訳ではないことは、これまでの人生で、身を持って体験しています。

羽生選手自身は、ソチ・平昌五輪のときは連覇という形で、実を結んできましたが。
その影で、多くの選手が「報われない努力」に唇を噛みしめたのです。

今回金メダルに輝いた、ネイサン・チェン選手もその一人です。
平昌での悔しい体験すら肥やしとして精進を続けた結果、北京では見事に大輪の花を咲かせたのでした。

心に宿した種は、私たちが願う時期には花は咲くとは限りません。
発芽すらしないかもしれません。

それでも、明日に向かって土壌を耕していきます。

花が咲いたり、実を結んだりするのは、忘れた頃かもしれません。
咲いた花の姿は、想像していたのとは違うかもしれません。

ふと足元でひっそり咲いていたその花が、あのとき蒔いた種だったとは、すぐには気づかないかもしれません。

人生は儚くて、なかなか思い通りにはいかないことだらけです。

天と地と -その激しさと美しさが交差する世界のなかで、今日咲いて、明日には散るかもしれない花びらを広げていくのでしょう。

 

最後に。
私はソチ五輪の頃から羽生選手のファンなので、つい感情移入してしまうのですが。

数日後の記者会見で言ったように、「羽生結弦で良かった」と心から思えるのであれば、それだけで努力は報われたのではないでしょうか。