脳を成長させるには?

先日、「超ド短期・芳名帳でビビらない!実用ペン習字 2時間コース」を受講しました。

もともと手書きの字には、コンプレックスが強い私です。

お祝い袋や香典に、筆ペンで名前を書くのが苦痛でしたが。

美しい字はもう諦めたけど、せめて自分の名前だけでも小マシな字にしたい・・・

藁をもつかむ思いで? とも先生のペン習字講座で出かけたのです。

「縦に筆をおろすときは、こういう風にスッとね。」

「字画が多いところは、なるべく細く書くように。」

とも先生はビギナーにも分かりやすく、かつ細やかに筆使いを指導してくれますが。

いかんせん、苦手意識が強いせいか・・・。

こう書くんだ!と意気込んでみたものの、腕がさっぱり云うことを聞きません。

しかも学生時代ははるか昔。今は1時間以上も字を書き続けることがないので、途中から筆をおろす気力が失ってきました。

終了後のとも先生とのランチが待ち遠しくて仕方がなかったのです。

 

自分の出来なさ加減に、ほとほと嫌気をさしましたが。

ランチを食べる頃には、しばらく定期的に通ってみる気になったのです。

確かに終了直前に自分が書いたペン字をみると、開始直後よりははるかにきれいに書けてました。

このまま終わるのはもったいないというのも一つの理由ですが。

それ以上に、脳にいつもとは違う刺激や爽快感があるのを感じたのです。

 

長く生きていれば、無自覚なまま保守的になっていくのでしょう。

得意、不得意、好き、嫌いの分類はあるものの、基本的にはやれることばかりで日々を回しています。

すごく苦手なことでも頑張ろうとするのは、ある意味エネルギーが必要ですし。

苦手意識が無くなるまでの時間、「出来ない感」を味わい続けなくてはいけませんし。

そう、苦手に対する免疫力が年齢とともに落ちてるのです。

若いころは違ってました。

生きてきた年数、体験も少ないので、そもそもが出来ないこと、知らないことだらけです。

苦手を克服することは当たり前で、苦痛はありませんでした。

つねに脳に刺激を与えながら、やれることを増やしてきたのです。

 

この年齢まで何とかやってきたのだから、このままの自分で逃げ切ろう

出来そこねたこと、多少の積み残しはあってもいいさ

守りに入ろうとする声も、年とともに大きくなっていきますが。

しかし、出来ることの繰り返しでは刺激が足りず、脳も物足りません。

てっとり早く刺激を手に入れるために、食べ物に手が伸びてしまうのでしょうね・・・ワタシ。

人は本来、死ぬまで成長を求めてやまないのだと思います。