負けを引き受けるひとがいるからこそ
白熱したリオデジャネイロ五輪で、まさかの番狂わせがありました。
オリンピック三連覇、今回も金メダルを確実視されていたレスリングの吉田沙保里さんが、アメリカのヘレン・マロウリス選手に負けてしまったのです。
申し訳ない・・・カメラの前でひたすら泣き詫びる姿は、本当に痛々しかったです。
彼女はこれまで十二分に戦ってきました。そして堂々の銀メダルを獲得したにも関わらず・・・。
アスリートとしては、4連覇は必須だったでしょう。
それだけの実力の持ち主でしたし、私も当然かのように期待しちゃいましたが。
ただ、吉田選手は後日、こう語っていたそうです。
「こういう表彰式で、メダルを取る取らないとか、金・銀・銅で(扱いが)違う。
負けた人の気持ちが分かり、いい経験になった」
物事にはかならず、光と影の両面があります。
たゆまぬ努力の結果、栄光の階段をひたすら登り続けてきた歳月でしたが。
彼女の連勝は、私を含めた多くの人に勇気を与えた一方で、おびただしいほどの数の選手が、悔しさで泣いてきたのです。
勝つこと 負けること
追いつくこと 追い抜かされること
攻めること 逃げること
これらは両極端で、片方だけで終わらせたいところです。
しかし光と影、両方を体験することでやっと、ひとつに統合するのではないでしょうか。
スポーツの世界だけでありません。
ビジネスやもっと身近な世界でも、私達は大なり小なり、勝ち負けのある世界に属しています。
たまたま自分が得意な分野だと、勝者でいられることもありますが。
そこには影が生じます。
負けを引き受ける人がいなければ、自分は勝つ位置に立つことが出来ないのです。
望むと望まずと、誰かが踏み台になっています。
逆もしかりです。
負けの立場から勝ちへと転じたとき、そこは嬉しさだけではないかもしれません。
勝者しか分からない孤独、負けへの恐怖も味わうのではないでしょうか。
自分が避けてきた反対側を体験して初めて、見えてくるものがあります。
光と影と、真反対にみえたとしても。
実は全く同じであり、それぞれ別の側面で体験していたにすぎません。
光と影をともに受け入れていくことで、人生は統合へと向かっていくのでしょう。