範囲指定つきの「ありのまま」
「物事の ありのままを まずは受け入れよう」
「その人の ありのままを 認めよう」
温かなまなざしで語る人をみると、懐の大きさや人間としての成熟さを期待してしまいます。
しかし、どうでしょうか。
「ありのまま」という言葉は、美しいです。
ただ、額面通りに受け取っていいのでしょうか?
私の友人もかつて、なかなか良くならない鬱状態に苦しんでいました。
何も知らない頃は、元気になってと励ましたのですが、かえって逆効果だったようで
心理的なことを学んでからは、ひたすら話しを聴くことに徹しました。
時が経ち、その友人も環境の変化がきっかけとなり、精神的に安定したのですが。
ありのままでいてくれてありがとう、その頃の私の接し方を後から感謝されました。
あぁ私も、人のありのままを受け入れられるようになったのかな・・・
半ば、手前味噌な気分になりました。
ただそれは、私の許容範囲内にすぎなかったのです。
専門家ではない私が言うのも差し出がましいですが・・・鬱とひとことで区切っても、状態はさまざまと言います。
言動は正常で、気分だけがひどく落ちこみ、気力が失せるというのが一般的なイメージです。
なかには、暴言を吐く人や暴力的になる人もいますが。
私が接した友人は前者で、人格が変わることは無かったのです。
パソコンの操作を思い浮かべてください。
マウスで範囲指定するときに、薄い点線が表示されますよね。
それと同じです。
自分がありのまま観れる範囲を、点線内におさめます。
手に負えない、受け入れがたいところは、無意識下で範囲から外したのです。
「何が食べたい」「何でもいいよ」
「好きな異性は?」「別にこだわってないよ」
額面通りではないことくらい、誰にでも分かります。
ありのままの姿を見せるのよ~
ありのままの自分になるの~
「アナと雪の女王」のテーマソングは、そう叫びますが。
「あなたの ありのままの範囲はどこまでなの?」
その問いかけは、自分にも突き刺さる問いです。
私たちはいつでも、無意識下で範囲指定をしている
そんな自分の「ありのまま」を冷静に見極めつつ
それでも、少しずつ点線の範囲を広げていこうとするのが
人間としての誠実な在り方ではないでしょうか。