「アノ人は素敵!」が思わぬ火種に

娘が4歳の時でした。

近くにいたお友達が上手に逆上がりができたので、思わず「すごーい!」と褒めてたら、娘があさっての方向に走っていったのです。

うずくまって泣きじゃくる娘は、どうやら自分がダメ出しされたと感じたようでした。

 

昨今ではソーシャルメディアで誰でも自分の意見を表明できますが、意図せぬ否定に繋がることがあります。

例えば

「料理が好きな人はイキイキしている人が多い」

私は以前、ブログでそう書いたことがありました。

確かに楽しそうに料理をする人からはプラスのパワーを感じますし、仕事や生活でも前向きな人が多いなぁとは実感しています。

ただし、「そうでない(料理が好きでない)人は素敵じゃない」とはイコールではありません。

料理が好きでなくても、イキイキと輝いている人はいくらでもいます。

また、料理好き全員が前向きなオーラを発している訳ではありません。

しかし弁解のごとく、「~そうとも限らない」「一概に言えない」と加えるのはクドいですし、かえって混乱を招くだけです。

ソーシャルメディアでは一つの断面を言い切る形となり、後は受け取り側に委ねることとなりますが。

こういった発言の騒動を、ネット上を中心にでよく見かけるようになりました。

「◯◯はすごい」を「◯◯でなければ、すごくない」に解釈してしまうのは、4歳の子供でももつ自然な感情の流れかもしれません。

発言と解釈と - そこを切り分けるリテラシー、その必要性がますます高まると思います。