静けさの暴力性のなかで

先日、海と山に囲まれたところに1泊しました。

長い列車での旅のあと、ようやくかの地に着いたのです。

新鮮なお刺身を食べたあとは、ホテルの部屋で疲れた身体を横たえていましたが。

しだいに、何だか落ち着かなくなってきました。

 

人里離れた場所に来るといつも思います。

静けさにも度合いがあるということを。

私が普段住んでいる場所は、田んぼや畑もまだ多く、それなりに静かです。

だけど、次元が違います。

都市のざわめきや人いきれ、耳には直接聞こえない音にさらされているのでしょうか。

人や車の気配の少ない場所は、自然のおとしか聴こえません。

ホテルの部屋は、圧倒的な静けさで満たされてました。

 

静けさと聞くと、癒やしや安らぎを連想します。

たしかに、都会の喧騒のなかの静けさはホッと安らぐのですが。

周りはどこまでも無音で、自分のこころの声まで大きく響く。

息をのむほどの沈黙は、決してやさしくはありません。

むしろ、暴力的なのです。

 

いつもは、都会にあふれるノイズで紛らわすことができても。

無音の闇のなかでは、自分と世界のあいだにごまかしが効かないのです。

音のない中で、容赦なく暴かれていきます。

本来の なまなましい自分が。

 

以前の私なら、張りつめた静寂に耐え切れず、テレビや音楽で空間を紛らわせていました。

しかし底知れぬ沈黙のなかに、あえて身を潜めてみたのです。

やがて、静けさの暴力性のなかで、癒やされていくのを感じはじめました。

どこか懐かしい肌触りにふれて、心も身体も鎮まっていったのです。

 

普段、あわただしい生活のなかで、音のない自分を体感することはありません。

何だか分からないまま、疲れがたまり、寝てもすっきりしない朝もあるのですが。

無音の闇に抱かれて、久々にぐっすりと眠ることができました。

 

時にはたった一人で、音のない空間に身を委ねること。

これが存在にとって、最高の癒やしになるかもしれません。