ライブな感覚は風化する

そのときは心から納得して、笑顔で終わったとしても。

時間が経ったのちに振り返ると、疑いや批判的な気持ちが頭をもたげてきた・・・そんな経験はないでしょうか?

 

かなり前のことですが、私に対して憤りがあった友人と、面と向かって話し合ったときのことでした。

誠意をもった説明が届いたのか、そのときは誤解を解くことができました。

「本当にごめんなさい」

友人が発した言葉から、心の底からの申し訳なさがひしひしと伝わってきたのです。

誤解させたことを私も詫びて、お互いに霧が晴れた笑顔でその場を去りました。

 

数日後、友人のブログをみると、その時のことであろうことが書いてあったのですが・・・。

えっ、あの時のお詫びは何だったの!?

ブログを読む限りでは、私に対する疑いや批判的な気持ちは再燃したようでした。

画面に向けて、私もゴウゴウと憤りの炎を燃やしたのですが・・・。

 

数年経った今、思うことです。

心からのだと感じた、友人の言葉はウソだったのだろうか・・・というと、そうではないでしょう。

真正面からお互いと向き合う場では、私の言葉が心にひびき、自然とお詫びの気持ちがこみ上げてきたのと思います。

なぜなら、誰かと対峙して話し合うときは、発せられた言葉だけではなく、熱い思いや優しさ、祈りなど、あらゆるエネルギーも同時に伝わってくるからです。

目に見えない何かが響くからこそ、その場では深く納得したり、感銘を受けたりするのでしょう。

ただし、どんなに心が動いたとしても、その場を去ったときからフレッシュな感覚は失われ、記憶へと風化していきます。

その記憶を思い出すとき、価値観や過去の経験から構成されたおなじみのフィルターを通して再生されるのですが。

「あの時はそう思ったけど・・・まてよ。」

記憶とともに、そのときの気持ちも変質させていくのではないでしょうか。

 

ライブで感じた”生の”感覚を、真空パックのまま保つことは難しいですが。

その時そう思ったこと、そう感じたことだけは、真実である - 

全てがすぐに変質していくなかでも、わたしも肝に銘じたいと思います。