めんどくささはなぜ増える?
めんどくさいなぁ・・・
そうほざくことが増えたような気がします。
とはいえ、手間がかかることが増えた訳ではありません。
むしろ昔に比べると減ったはずなのです。
めんどくさい そうイライラを感じる閾値がどうも低くなったのではないでしょうか。
このように科学技術は、かつて不可能だったことを可能にしてくれた。諦めなければならなかったことを諦めなくてもよくしてくれた。制約をつぎつぎに取り除いてくれた。こうして私たちは、現実を思いのままにコントロールできるというような万能感を抱くようになった。
それによって、私たちは諦めが悪くなった。思い通りにならないことがあると、イライラするようになった。このようなコントロール幻想が自己愛を増長させる温床になっているといってよいだろう。
寒い時は焚き火に当たり、暑いときは日陰で涼むくらいしかない時代が長く続きましたが、科学技術の発達によって今では、エアコンで部屋の温度を思いのままにコントロールできるようになりました。
さらに、昔なら遠方とのやりとりに何日もかかったのが、インターネットや携帯電話の普及で、相手がどこにいても瞬時にやりとりが可能になったのです。
その恩恵の影で、思い通りにならないことに人々はイライラするようになったと、この本では言及しています。
私も科学の果実をほおばる一人ですが、幼い頃に比べても、不便さや時間がかかることに耐える力も弱くなった気がします。
それが冒頭の「めんどくさいなぁ」にも繋がっているのではないでしょうか。
ごはん一つ炊くのに薪火を拾うことから始めなければならない時代に、存在したとは思えません。
「めんどくさい」
この言葉が。
科学技術が発達していない時代は、何をとっても手間暇がかかることばかりです。
それが当たり前すぎて、「手間暇かかる」の概念すら無かったかもしれません。
先人たちの尽力によって、私たちは多大な労力から解放されましたが。
時間や手間がかかることを、必要以上に「苦痛」と感じるようになったのではないでしょうか。
便利至上主義が蔓延するにつれて、「めんどくさい」「イライラする」の沸点がますます低くなる気がしてます。
手のひらで様々なことが可能になったスマートフォンが、その傾向に拍車をかけたのかもしれません。
(スマホ大好きな私には耳が痛いことですが・・・。)
便利がいちばん=煩わしさは害悪
とことんまで煩わしさを排除した先に、何が待ち受けているのでしょうか・・・。
これ以上「めんどくささ」の閾値を下げないよう、生き方を見直す時期かもしれません。