その視点では真実はみえない
先日、70回めの終戦記念日を迎えました。
映画「日本のいちばん長い日」を観たことをきっかけに、太平洋戦争に関する書籍やサイトに目を通し、自分なりに色々と考えています。
「なぜ、日本は戦争を始めてしまったのか? 」
本を手にとった瞬間にその視点が立ち上がったのですが・・・
あることに気づいて、ページをめくる手を止めました。
「その視点では、真実はみえない」
真実を知りたい - そんな思いから何かを検証しよう、原因を探ろうとします。
しかし、真実を観ようとする目が、すでに曇っていることはないでしょうか?
「なぜ、日本は戦争を始めてしまったのか? 」
この視点は、果たしてニュートラルかと問われると、少なくとも私の場合はニュートラルではありませんでした。
既に「戦争は悪いもの」という価値観が、強固に根付いていることに気づいたからです。
その価値観を当たり前として生きてきた私ですから、それに根ざした事実を知りたいのであれば、その問いから入っても問題ないでしょう。
ただ、真摯に真実を知りたいというのであれば・・・
価値観というフィルターは、一旦脇におく必要はないでしょうか?
フィルターが透明であればあるほど、真実そのものの色合いが浮かび上がってきます。
ただし、そこから観える真実は心地よいものとは限りません。
かつて、ドイツの女性哲学者で自らも収容所の体験があった女性ハンナ・アーレントが、ナチス幹部アイヒマンの裁判を傍聴し、「凡庸な人が犯した罪」と見抜いたことがありました。
アイヒマンの世間での評価は紛れもなく「大悪人」で、その視点で彼を断罪するのが当然の態度だったはずです。
彼女の指摘は特にユダヤ人たちの気持ちを害し、バッシングの嵐に見舞われました。
しかし、自らも被害を被ったにも関わらず、ハンナ・アーレントはフィルターを外して、真実だけを観ようと務めたのです。
無意識に握りしめている価値観に気づき、それを一時的にもいいので外していかなければ、観えるものも観えなくなります。
これは、どんな物事にも言えるでのではないでしょうか。