人間ってそのままでも充分にスゴイ
先日、4歳になる姪っ子の保育園行事を観に行きました。
小さな手足を懸命に動かして、ヨーイドンでかけっこする姿は微笑ましくも、可愛くもあります。
その行事の中で、赤組・白組に分かれての玉入れがありました。
合図と共に、一つ一つ赤玉を救っては、カゴに入れようとする姪っ子。
その甲斐があったのか、見事に姪っ子の赤組は勝ちました。
勝ってはしゃいでいる子もいましたが、何が何やら分からないのか、キョトンとしていた子供たちも多かったようです。
そりゃそうですよね。
大人にはごく簡単なゲームに思えても、子供たちには複雑に感じるでしょう。
なぜなら、どちらが多くの玉を入れるかを競うだけの玉入れの中にも、いくつかの手順や概念が含まれているからです。
- 赤と白の2チームに分かれ、それぞれの色の玉をカゴに入れる
- 赤白チームのカゴに入った玉の数を数える。
- 赤白チームのどちらがより多く、カゴに玉を入れたのかを判定する
玉入れの手順ですね。これは、言って聞かせれば分かるでしょう。
次に、玉入れという競技において、カゴの中に多く入るということは、どういうことを知る必要があります。
さらに、相手に「勝つ」ということはどういうことなのか。
ここで、「嬉しいことだ」と体感して初めて、喜ぶことができます。
この過程を、まっさらな心の赤ちゃんとして生まれた人間が、習得していくのですね。
勝ち負けは、人間の本能ではないか?と思われがちですが。
一概には言い切れないのかもしれません。
以前、自閉症の方自身による著書を読んだときに 「人に勝って何が嬉しいのかが、今ひとつ分からない」と書いてあったからです。
そう考えると、勝った=嬉しい、負けた=悔しい も社会が創った概念であり、後天的に身につけるものかもしれません。
大人になれば「玉入れ」の言葉ひとつで、いくつかの手順や概念がアーカイブされたまま、瞬時に引き出すことが出来ますが。
当たり前のようにみえても、人間って複雑なことを同時に操ることができる、スゴイ生き物なんですね。
こうして幼い子供たちが少しずつ世界を理解していく姿を改めて目の当たりにすると、つくづく実感します。
※使用した写真は、インターネットの写真サイトからダウンロードしたものです。あしからず。