たとえ意見が噛み合わなくても・・・
私の知人が参加した、とある会合(zoom)でのこと。参加者の一人が「ワクチンを打たない選択をした」理由を整然と語ったそうです。それは単にワクチンを否定するのではなく、その方の体質や既往症などを熟慮した上で、決断されたとのこと。
同じ会合の参加者のなかで、医師の方がおられたそうですが。
話を聞いてその方がポロリと呟いたセリフがこれです。
「共感はするが、賛同はしない」
私たちは自分と対立する意見を聞くと、反論や反発でココロがいっぱいになり、言い分を聞くスペースがなくなります。
相手の考えがどうあっても間違っている、改心させねば!と正義感がメラメラ燃え上がるでしょう。
ワクチンの有効性、エビデンスやデータはどこからでも引っ張ってこれます。
それを根拠に論破できそうな気がしますが・・・。
しかし、相手のココロの中も同じことが起こっています。
「そのデータは操作されている」
「政府が都合のよい情報しか開示していない」
どれだけ熱心に説得しても、反論や反発でココロの中は埋め尽くされているのです。
「自分が正しい」と言い合うだけでは、ますます分断が進むばかりではないでしょうか。
相手の気持ちや言い分そのものは理解する、だからといって、必ずしも賛成する必要はないのです。
ワクチンに関して異なる意見で対立したとしても、コロナが収束し、皆が健康でいてほしいという願いは同じでしょう。
お互いの意見や立場は尊重しながらも、共通の目的に向けて、協力しあえることもあるのではないでしょうか。