【コラム83】複数の人格と共存する
あなたのパーソナリティー(人格)は一つではない
「パーソナリティー」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
辞書には、
『個人個人に特徴的な、まとまりと統一性をもった行動様式、あるいはそれを支えている心の特性。人格。(出典:三省堂 大辞林 第三版)』
とありますが、一言で言うと「人格」ですね。
このパーソナリティー(人格)は、一人の人間の中に一つではなく複数あるのは、心理学の知識が無くても体感、体験的に分かるのではないでしょうか。
そして、このパーソナリティーを少し観察すると、それぞれの人格は、まるで別々の人と言ってもいいぐらい、異なる性格を持っているように見えます。
このように別々の、ときには真逆に思えるようなパーソナリティーが自分の中に存在すると気づくと、「どれが本当の自分なんだろう?」と考え込むかもしれません。
本当の自分とはなんだろう?
どれが本当の自分なんだろう?と考えるとき、多くの人は、「どれが本当の自分(パーソナリティー)なんだろう?」と考えるようです。
けれども、パーソナリティーは、あなたの一部ではあるけれども、あなたそのものではありません。
このとき、自分の中で受け入れやすいパーソナリティーもあれば、中々受け入れがたいパーソナリティーもあります。
それだけでなく、絶対に認めたくないパーソナリティーもあれば、滅多なことではオモテに出てこないパーソナリティーもあります。
まるで、この人間社会と同じように、多種多様なパーソナリティーがあなたの中に存在しているのです。
では、本当の自分とは一体、何を指すのでしょうか?
パーソナリティーを支える存在がある
パーソナリティーを青空に浮かぶ様々な形をした無数の雲だとするなら、本当の自分とは、青空そのものに例えることができるでしょう。
もし、空がなかったとしたら、雲は存在することができません。
同じように、様々なパーソナリティーが存在するための居場所が必要であり、その居場所こそがパーソナリティーを支える本当のあなたの姿なのでしょう。
しかし、それがあなたの本当の姿だとしたら、なぜ私達はパーソナリティーを自分だと思いこんで一喜一憂することに明け暮れているのでしょうか?
葛藤こそがあなたの本当の姿に気づくカギ
パーソナリティー同士は、性格が違うように見えるものもあると冒頭で書きましたが、中には水と油のように全く相容れないようなもの同士もあります。
私達は無意識に、あるパーソナリティーに肩入れしています。そして、別のパーソナリティーを無視したり、嫌悪したりしています。
本当は優しくしたいのに、つい怒ってしまう。
本当は前向きでいたいのに、つい消極的に引っ込んでしまう。
そして、怒ったり、消極的な自分を「ダメなやつだ」と罰したり、もっと優しく、前向きになろうと努力するけれども、出てくるのは怒ったり、消極的な自分。
葛藤は、こういう状態のときに起きます。
しかし、葛藤の状態が長く続くと、
「どっちが本当の私だろうかとずっと悩んでいたけど、もしかしたら、どちらも本当の私ではないかもしれない」
そんな疑問が浮かんでくる瞬間があります。
そして、
「片方のパーソナリティーを自分だと思い込んでいたけど、本当の私はどちらのパーソナリティーでもなかった」
そう気づいたとき、パーソナリティー同士の葛藤に終止符が打たれるのです。
本当のあなたの姿に気づくと、複数の人格が共存できる
そして、パーソナリティー同士の葛藤に、一つまた一つと終止符を打つたびに、複数のパーソナリティーが存在することを許し、支える居場所があることに気づくでしょう。
そう、
「あぁ、私はパーソナリティーではなかったんだ」、と。
そのことに気づいたとき、私の中にいる複数の人格と共存、つまり、共に存在することが初めて可能となります。
パーソナリティー同士の葛藤を乗り越えて、本当のあなたの姿に気づくために、葛藤を体験する必要がある。
人間って、なんて面倒くさい生き物なんでしょうね(笑)