【エッセイ53】先延ばしをしてしまう自分から見えたこと
やらないといけないのに、なかなか手がつけられない。
そんな自分がいます。
それをテーマにセッションをしてもらったのですが、思いがけない気づきがいくつもありました。
「早くやらないといけない」と頭が思うと、身体が重くなる。
その重さを感じていくと、胸のあたりが痛くなり、なんとも言えない悲しみが押し寄せてきました。
そのとき浮かんだのは、子供の姿でした。
「早く宿題をしなさい!」と言ったときの子供の姿。
怒った顔で腹ただしい様子を身体で表すその姿。
それと全く同じことが自分の中に起きていたことに気づいたのです。
頭が「早くやりなさい」と言うとき、自分の身体で起きていたことと、子供の中に起きていたこととが同じだったということに。
そのとき感じた胸の痛みは、信頼されていないという悲しみでした。
今度は、どうして「早くしなくては」と思うのかという頭の声に耳を傾けると、「早くすることで安心したい」というのが出てきました。
頭は頭で、ものすごい恐怖があるんだなと気づいたのです。
その恐怖から一刻も早く逃れるために「早くしろ、早くしろ」と追い立てるように言ってくる。
その恐怖が身体に伝わり、重い気持ちになり、怖がらせることでもあるので、自分の身体も子供も反発して、余計に動かなくなる。
では、どうして頭は「早くしろ、早くしろ」と叫ぶのか?
どんなときに「早くしろ、早くしろ」と叫ぶのか?
見えてきたのは、「相手の期待に応える」という言葉でした。
「早く準備していいものを作らないと、相手の期待に応えられない」
だから「早くしろ」と叫んでいたのです。
頭の本心は「早くしろ」ではなくて「期待に応えろ」だったんですね。
さらにその奥を見ていくと、「相手の期待に応えたい」という想いがあることにも気づきました。
そして、同時に「でも、今の自分では相手の期待に応えることはできない」とも思い込んでいることに気づいたのです。
ここで、今度は自分が期待に応えたいと思っている人たちの立場に立って、自分がどう見えるか冷静に考えたときに、思わず笑ってしまいました。
なぜか?
自分が期待に応えたいと思っている人たちの立場から自分自身を見たとき、何を書いても何を話しても期待に応えられるということが見えたからです。
文字通り、何を書いても何を話しても、そして、どんな自分を表現してもです。
「期待に応えたい」「でも、今の自分では期待に応えることはできない」
から、
「期待に応えたい」「そして、今の自分は期待に応えることができる」
となったとき、頭と身体の間に橋がかかりました。まさにラポール(信頼関係)ができたのです。
もちろん、一回、橋がかかったからといって、ほったらかしにすると橋は崩れてしまいます。
何度も行き来し、メンテナンスすることで橋は強固なものとなり、頭と身体の信頼関係もより強固なものとなるでしょう。
物事を先延ばしにするときは、頭と身体の関係がうまくいっていないときです。
そのとき、頭は何を恐れているのか、何を求めているのか。
そして、頭は身体のことを本当はどう思っているのか。
傍から見て、客観的に見て、身体のことはどう見えるのか。
そこを丁寧に見ていったときに、新たな気づきが生まれる可能性があります。
その新たな気づきは、あなた自身に対する認識を一変してくれるかもしれません。