【エッセイ70】30年来の腰痛は、なぜ治ったのか?

『腰痛にはスクワットがいいんだよ』

整体の先生が教えてくれたこの言葉。
実は、最初は半信半疑、いや違う。本当は全く信じていなかった。

 

「いやいや、そんなことで、腰痛が治るわけないだろ!?」

腰痛やギックリ腰との付き合いは長い。
最初にギックリ腰になったのは高校生の時だから30年以上前になる。

以来、腰痛とギックリ腰がクセになってしまい、季節ごとに痛めては整体や鍼のお世話になってきた。

 

「もう一生、治らないんだろうな……」

治療してもらったあとは少しラクになるが、しばらくするとまた痛みが出てくる。

未来永劫、この痛みと付き合っていなかければならないのか……
次の腰痛やギックリ腰は、いつまたやってくるのか……

そう考えるたびに憂うつな気分におそわれる。

 

今から約2年前、友人がテーピングで治療するという整体師を紹介してくれた。

50代後半の男性で、スポーツを長年やってきたからだろうか、「筋骨隆々」「マッチョ」という言葉がピッタリくるちょっとオレ様系の先生だった。

独自の技術を確立し、テーピングだけで今まで動かなかった脚や腕を動かしてきたと豪語する。
「こういう先生って、話を盛るんだよね~」と内心、話半分で聞いていたが、施術後、確かに腰の痛みも消えて、ラクになった。

「まあ、施術後は大体、良くなるけどね」

今思うと、なんて失礼な態度を取っていたのかと反省しきりだが、それも仕方がない。

この30年間、完治した実感が無かったので、どんな施術に対しても完全に身を任せることができなくなっていたのだ。

とはいえ、そのときラクになったのは確かな事実。

 

「ところで先生、麻痺で身体が動かなくなった人も、動くようになりますか?」
『あぁ、動くようになるよ』

数年前に身内が、脳溢血で半身麻痺になった。
リハビリも継続しているが、残念ながらそれだけでは元のようには戻らなかった。

あまりにもアッサリと答えてくれたので、まあ、ダメ元でお願いしてみようかということに。

病気で倒れてから何年も経って、脚も腕もガチガチに固まってしまっている身内の姿を思い出すと、正直、難しいだろうと思っていた。

だが、その期待は良い意味で裏切られることになる。

細く切ったテーピングを身体にペタペタ貼っていくだけで、今までどれだけリハビリしても動かなかった脚や腕が動き始めたのだから。

「おぉ~!」「すごい!」「よかったね~!」

家族のどよめく声があちこちから聞こえる。

まるでマジックショーをみているようだった。
ありえないことが、目の前で現実に起きたからだ。

僕の中で「オレ様マッチョ先生」が神様に見えた瞬間だった。

 

これだけの実績を見せられると、さすがに半信半疑の僕でも信じる気持ちが上回る。

そんな神様のようなお方が、「腰をよくするには、スクワットでふくらはぎと太ももを鍛えるのがいいんだよ」とおっしゃってくださったわけですから、これはもう素直に従うしかない。

ということで、一日、二日、三日と続けていく。だが、あまり痛みは変わらない。

普段なら、三日続けて効果がなかったら、「これはダメだ」と辞めてしまうが、さすが神様の言葉は違う。あきらめず、四日、五日、六日と続ける。

 

すると、一週間過ぎたころから、効果が出始める。

あら不思議、腰の痛みがいつの間にかほとんどなくなっていた。

「おぉ~! 本当だ、治った!」

と思って、スクワットをやめると、また腰に痛みが出てくる。

あわてて、またスクワットを始める。痛みが治まる。

「おぉ~! 治った!」

と思って、スクワットをやめると、また腰に痛みが出てくる。

これを何度か繰り返すと、さすがに疑い深い僕でも、スクワットが本当に腰痛に効果があることに身をもって知る。もう疑う理由はない。

それ以来、毎朝のスクワットは日課となった。

おかげでこの数年、ギックリ腰や腰痛とは無縁の人生を送っている。

 

この体験は、僕に大切なことを教えてくれた。

それは「一人では盲点に気づけない」ということ。

今回の場合、ふくらはぎと太ももの筋肉が弱っていたために腰の筋肉に負荷がかかり過ぎ、それが痛みとなっていた。痛みの原因は腰にはなかったのだ。

だがそのことに30年間、自分一人では全く気づけなかった。

痛む箇所を取り除ければ痛みは消える。そう信じていたからこそ、筋肉を鍛えれば自然と痛みは消えていくという発想に思いも至らなかったのだ。

でも、それはある意味、無理もないことだとも思う。

だって30年間だよ!
30年間、ずっと完治しなかったら、いきなり「治るよ」と言われても簡単に信じられる?

それくらい盲点、つまり、思い込んでいると全くもって気づいていないことに気づくというのは、自分一人では不可能に近いということ。

中国雑技団の団員でもない限り、自分の背中が自分では見えないのと同じだ。

だが、自分一人では見えない盲点という背中も、そこに何があるか教えてくれる人がいれば、気づくことができる。

あとは、教えてくれた人の言葉をあなたが信頼するかどうかだけだ。

当たり前だが、何でもかんでも相手の言葉を信頼すれば良いというものではない。
だからこそ「相手を信頼する」ことは勇気がいる。

信じてやってみても、思ったような結果が出ないかもしれない。変わらないかもしれない。
だから、相手を信頼すれば絶対にうまくいくなんて、そんなこと口が裂けても言えない。

でも、だからこそ、「どうせ今回も無理だ」「そんなことしても変わらないよ」といった頭の中に聞こえてくるあきらめや疑いの声にあえて逆らってみてほしい。

その声に逆らう勇気こそが、あなたの盲点を打破する力となるから。