【エッセイ72】不安や恐怖と共にいる力を養う
コロナウイルスの影響で社会環境が激変しています。
「これから、どうなるのだろうか?」
「これから、どうしていったらいいだろうか?」
このコラムを読んでいるあなたも、周りで将来に対する不安や恐れの声を聴く機会が増えているかもしれません。
毎月の読書会で使っている「コーチングハンドブック」には、
人間を深く理解するための一つの切り口として、
「意識・無意識・プログラム」
という考え方があります。
それぞれを詳しく説明するのは割愛しますが、
私たちの心と身体を外界の様々な出来事から守る役割をしているのが、
3つ目の「プログラム」です。
例えば、「高所恐怖症」
歩道橋ぐらいの高さであっても、高所恐怖症の人は、脚がガクガク、ブルブル震えて、登れないという話を聞いたことがあります。
そこまででなくても、高層ビルの窓から下を見下ろすと、身体がブルっと震えるという人もいるでしょう。
「高いところから落ちると危険だ」
というプログラムが作動することによって、高いところに行かないように、もしくは、高いところか離れるように「恐怖」を使って、私たちを守ろうとしてくれています。
私たちが生きてこれたのも、「恐怖」を感じて、それに近づかないようにしたり、適切に対処したりしてきたからと言えます。(もし、高い崖の上で恐怖を感じなければ、うっかり足を滑らせて、落っこちて死んでしまっていたかもしれません)
このように、「プログラム」は恐怖や不安といった感情を使って、私たちの心と身体を危険から守ってくれていたのです。
しかしながら、具体的な危険に対しては、恐怖の対象がハッキリしているので、対処することが可能ですが、残念ながら私たちは、具体的な危険に対してだけ恐怖を感じるわけではありません。
むしろ、「これから先、どうなるのだろうか?」という未知のことに対しても、私たちは恐怖や不安を感じます。
これは、人間という生き物が必ず持っている、いわば本能です。
心臓の動きを自分の意思で止めることができないのと同じく、未知の出来事に対して不安や恐怖を感じる。
それは、人間にとってとても自然なことではないでしょうか?
だからと言って、仕方がないとあきらめてしまうほど、人間は無力な存在ではありません。
恐怖や不安は、人間の本能から生じるから、無くすことはできない。
しかし、自分の中の「プログラム」が恐れているんだと知ることで、私たちは選択することができます。
恐れや不安に飲み込まれたまま焦って動かされてしまうのか?
それとも、恐怖や不安を無くすことはできないけれど、意識的に別の感情と行動を選ぶのか?
恐れや不安と共にいる力を身につけるには、恐れや不安と共にいる機会を増やすこと。
車を運転できるようになるために、教習所に通って何度も何度も車を運転したように。
ピアノを弾けるようになるために、ピアノ教室でピアノを何度も何度も弾いたように。
一朝一夕には上手くなりませんが、恐怖や不安が浮かび上がってくるたびに、『あぁ、「プログラム」が私の心と身体を守るためにサインを発しているんだなぁ』と、ちょっとだけ捉えてみてください。
そのたびに、ほんの少しずつですが、恐れや不安と共にいる力が養われていくでしょう。
ただし、重すぎるバーベルを持つと筋肉を傷めてしまうのと同じで、ムリに恐怖や不安を感じようと頑張るのは禁物ですよ!