【エッセイ74】富士山が教えてくれたこと
数年前に富士山に登りました。
途中、高山病にかかり八合目半まで登ったところで、あえなく下山することに。
残念ながら、山頂はおあずけとなりましたが、それでも富士登山を経験したからこその気づきがありました。
「森林限界」という言葉があります。高い木が生育できなくなる限界高度のことを指します。場所によりその高さは変わりますが、富士山だと約2500mになります。
5合目から6合目までは、自然豊かな森の中を歩く感じですが、6合目を越えたあたりからだんだん木が減ってきて、岩と岩の間に生える小さな植物に変わり、8合目を越えると、植物は消え去り、岩と赤土だけの世界が延々と続きます。
昔、マウイ島のハレアカラ火山に行ったとき、まるで月か火星に来たのか? と思ったことがありますが、その感覚がよみがえってきました。
森は、様々な動植物を生かす多様性に満ち溢れた印象を持ちます。それに対して、岩と赤土むき出しの山は、すべての動植物の存在を拒絶する、一種の畏怖感がありました。ですが、それもまた自然の本来の姿なんだと知ったのです。
「自然に癒される」「自然にやさしい」「自然を大切に」という言葉を多々目にしますが、それは、人間にとって都合のいい「森」のイメージを自然に被せていただけだったんだと。それは自然のごく一部であって、自然はまた、動植物を拒絶する無慈悲な存在でもあると。
自然は受け入れ、また、突き放す。人間もまた自然の一部であるなら、受け入れる優しさと突き放す冷たさの両方を持つことこそが、自然なのかもしれない。
富士登山の体験からそんなことを教えられました。