【エッセイ95】「敵」が「味方」に変わるとき
「あぁ、親父はオレのことが嫌いじゃなかったんだなぁ……」
プロコーチとして活動を始めて2年目のこと。
お世話になっている方の紹介でKさんという2代目の経営者をコーチングすることになった。
2代目というと初代の跡を継いだお坊ちゃんというイメージを持っていたが、お会いするとそのイメージが覆された。
初代が立ち上げた会社を全国展開する企業にしたのは、その2代目のKさんで、一言で言うと「やり手」の経営者だった。
今思っても、そんな方がよく30歳そこそこの若造からコーチングを受けてくれたものだと冷や汗が出る。
コーチングを始めて何度目かのセッションのこと。
「親父が、いや、会長がね、オレのやり方に文句ばかり言うんだよ。うっとうしくて仕方がなくてね」
いつも前向きな話をしていたKさんがふと、愚痴ともボヤキともつかないことを口にした。
「へぇ~、Kさんでも、そんなことを思うんですね。もしよかったら、そのことをテーマにコーチングしますか?」
軽い気持ちで、そう提案する。
「それをテーマに話すってこと? まぁ、いいか」
このときはまだ気づいていなかった。
このセッションがKさんの人生を大きく変えるセッションになることに……
「オレが、こうしよう、ああしようと意見を言うと、ことごとく毒舌を吐いてケチをつけるんだよ。他の幹部社員の手前、ケンカするわけにもいかないけど、ほんと勘弁してほしいよ……」
ひとしきり、Kさんの話を聞いたあと、
「どうして会長は、Kさんに毒舌を吐くんだと思いますか?」
と、尋ねる。
「さぁね、とにかく気に食わないんだろうね。オレのほうが会社を大きくしたから意地を張ってるんじゃないの。それだよ、それ。オレのことが嫌いなんだよ」
そう答えるKさんの投げやりな態度に、ちょっと怯みながらも、もう一度尋ねる。
「どうして会長は、Kさんに毒舌を吐くんだと思いますか?」
しばらく沈黙が続いた後、
「まぁ、商売は厳しいもんだ。商売をなめるなよって言いたいんじゃないかなぁ」
と、ポツリとつぶやく。
「じゃあ、その商売をなめるなよという気持ちの奥に何があるんでしょうね?」
また、しばらく沈黙が続く。
「……失敗するなよっていうことかな」
もうKさんの声に怒りはない。
「その、失敗するなよっていう気持ちの奥にあるものは何だと思いますか?」
「…………」
今までで一番長い沈黙が流れる。
あまりにも沈黙が続くので、こちらから声をかけようとしたその瞬間、電話口の向こうから、嗚咽が聞こえてきた。
「あぁ、そうか、そうだったんだ。親父はオレのことが嫌いじゃなかったんだなぁ。ずっと心配して気にかけてくれていたんだ。そうか、そうだったんだなぁ……」
嗚咽とともに絞り出すような声で語ってくれたKさん。
毒舌の奥に隠されていた、会長である父親の本当の気持ちを悟った瞬間だった。
嗚咽がずっと電話口の向こうから聞こえてくる。
いつの間にか、僕の頬にも熱いものが流れていた。
その次のセッションのときにKさんが語ってくれたことは今も忘れない。
「ずっと、父親のことを敵だと思ってたんだ。オレのことが嫌いなんだって。でも、そうじゃなくて本当はオレの一番の味方だったんだなぁ」
心なしか声のトーンが嬉しそうだ。
「で、この前、オレから『展示会に一緒に行かないか?』って声をかけたんだよ。今までそんなこと絶対になかったんだけどね。で、どうだったかって? 相変わらず毒舌だよ。親父は何も変わっちゃいない。でも、いいんだ。そんなことは大した問題じゃない。それに……」
それに?
「娘がね、まだ小さいんだけど、あれから『パパ、パパ』って近づいてくれるようになったんだよ。妻も、『あなた、なんだか優しくなったわね』って言ってくれてね」
そう、少し照れながら嬉しそうに話してくれたKさんの声は、今も耳に残っている。
あれから20年近い年月が過ぎた。
あのとき僕がやったことと言えば、ただKさんの話を聞いて、「その奥に何があるのか?」と尋ねただけだ。だから僕が相手を変えたなんてことは、これっぽっちも思ってない。
Kさんは自ら気づいたのだ。「オレは愛されていたんだ」と。
Kさんが本当に求めていた父親からの愛情は、いつも浴びせられていた毒舌の奥に隠されていたのだ。
人が本当に求めているものは、決して分かりやすい姿をしていない。
むしろ、その真反対で、近寄りがたいもの、反発したくなるもの、抵抗したくなるもの、つまり、一見すると「敵」に見える。
だが、その「敵」の奥に隠された真意に気づけたとしたら、どうなるだろう?
外側の世界は、何も変わらないかもしれない。
Kさんの父親の毒舌が、相変わらずそのままだったように。
けれども、あなたの内側は、今までとはまったく違う世界に変わる。
そう、オセロの黒が白に変わるように。
あなたの目の前でずっとあなたを邪魔していた「敵」が、本当は「味方」だったと悟ったとき、あなたの人間関係は反転する。
そう、オセロの黒が白に変わるように。