季節が変わるころ、ヒロは勤めていた人材育成の会社を退社した。
会社の仲間たち、上司たちはみなヒロが去るのを惜しんでくれた。
「また飲みに行きましょうね!」
そう言ってくれる後輩、同僚たち。
「またいつでも顔を出せよ」
激励してくれる上司。
みなとても優しくしてくれた。
その優しさがまたヒロには辛かった。
「お世話になりました」
精一杯の笑顔を見せて、
自分がどん底まで落ち込んでいることを気取られないように、
ヒロは深々と頭を下げると、会社を後にした。
会社のビルを出ると、見上げる空は大きかった。
大きな空の下、ヒロは..自分をとてもちっぽけに感じた。
これまで自分がいた会社のビルを振り返る。
ここはもう僕の場所じゃない。
もう僕はここにとっては他人なんだ。
仕事をやめ…ヒロは自分が誰でもなくなってしまったような気がしていた。
仕事に燃え、情熱に燃え、
やる気に溢れ、自信に溢れ、日々を過ごしていた自分。
あの自分はもういない。
今ここにいるのは燃え尽きた、燃えかすの木の棒のような自分だ…。
人生にこんな辛いことがあるのか…。
今まで知らなかった…。
こんな思いを自分がすることになるなんて….。
仕事をやめると言ったとき、家族は反対しなかった。
病床の父も「お前の好きなようにしなさい」と言ってくれた。
以前のような輝きを失ったヒロの雰囲気を悟って、
きっとそう言ってくれたのだろう。
ヒロのパートナーもヒロを気遣い、
なにも言わずただ傍にいてくれていた。
日々、本を読み、スクールに通い、
ただ淡々と日々は過ぎていく。
日々はただ無為に過ぎていく。
なにも生み出さない自分。
そんな自分が、無価値で存在の意味もない気がして、
そんな自分のことがヒロはイヤだった。
夜が来て 朝が来て また夜が来て
そしてまた朝が来て 夜が来る
その繰り返し
日々はただ無為に過ぎていった。
そんなある日だった。
スクールの講師の先生がヒロに声をかけてくれた。
「〇〇さん、君は会社を辞めて独立を考えているんだよね?」
「え?」
「ゆくゆく独立を考えているんでしょう?」
「いえ…そういうわけでは…
まだ仕事をやめたばかりですし…何も考えていないです」
「そうか」
「えっと…なにか?」
「いや、面白い講座というか勉強会があってね」
「自分がやりたいことを独立して仕事にしている人たちが、
毎週集まっている勉強会があるんだ」
「ゆくゆく独立を考えているなら、君にいいんじゃないかと思ってね」
自分がやりたいこと…?
ヒロは先生の言葉に「なにか」がピクリと反応するのを感じた。
「自分の好きなものを仕事にされている人たちの集まりなんですか?」
ヒロは一瞬間をおいて、そして聞き返した。
「ああ、自分の心の琴線とでもいうのかな、
そういうものに従って、仕事に活かそう、
または仕事にして独立している人たちの集まりなんだ」
ヒロの心の「なにか」がまた微かに動く。
「集まっている人たちは、みなさん自分の好きなことを
もう仕事としてやられている方たちなんですか?」
そんな場所にいても居場所はないのではないかと思い、
ヒロは問い返してみた。
「いや、自分の心の琴線に触れるものって何だろう?と、
自分のワクワクの源泉を探求中の人たちも勿論いるよ」
「そうだな、集まっている人たちは…うーん」
言いかけてから先生はしばし考え込んだ。
そしてしばし考えてから、顔をあげるとこう言った。
「そう!死ぬときに後悔しないような生き方をしたい
という考えを持った人たちが集まっていると言ったらいいかな」
「自分の生きがいを仕事にしようという人たちの集まりと言えるね」
死ぬときに後悔しないような生き方….。
この言葉を聞いた瞬間、ヒロの心はヒロに問いかけてきた。
「お前は今のまま死んだら後悔しないか?」
一瞬の間をおいて「いや、このままでは後悔する」
そう言葉が返ってきた。
そう、このまま死んだら後悔する。
そんなのイヤだ!
とヒロは思った。
「その会、行きたいです」
「紹介いただけますか?」
気がついたら、ヒロはそう答えていた。
そして…明けて翌週、ヒロはその勉強会の会場にいた。
「ヒロと言います」
「今は休職中で、コーチングの勉強をしています」
ヒロはそう言ってあいさつした。
勉強会にはいろんな人たちがいた。
カウンセラー 会計士 鍼灸師 セラピスト
飲食店を営んでいる人 サロンを経営している人
講座をやっている人 自分のようにコーチングをやっている人
無店舗で仕事をしている人
中には何の仕事かヒロにはよくわからないジャンルの人もいた
そこには自分がやりたいということを、
仕事にしている人たちが集まっていた。
自分で仕事をしている人、スモールビジネスをしている人
サラリーマン経験しかないヒロには、その出会いはとても新鮮だった。
また、まだ会社勤めをしながら、
自分のワクワクの源泉を探求中という人たちもいた。
彼らは毎回集まっては、みなで自分の気付きや発見、
自分にとってどんなことが面白いことなのかをシェアしあった。
誰かのシェアが、また他の人の気づきに繋がることもよくあった。
ヒロは暗い気持ちでこの勉強会に初めやってきたが、
だんだん元気を取り戻す自分がいるのを感じていた。
胸に空いた穴、虚無感は拭えはしなかったが、
それでもなにかをこの場に期待できていたのかもしれなかった。
そんなある日のことだった。
参加者の一人がヒロにこう尋ねてきた。
「ヒロさんって、コーチングをやっているんでしょう?
なぜコーチングをやろうと思ったの?」
思いがけない問いかけにヒロは一瞬戸惑った。
えっと…なんで自分はコーチングをやろうと思ったんだっけ…。
ヒロはしばし考え込んだ。
気力ない日々が続いてきて、
コーチングと出会った時、自分は何故あれほどワクワクしたのか、
すぐに思い出せなかった。
…ワクワク。
そう、自分はコーチングと出会った時、ワクワクした。
そう、僕はあの時ワクワクした….。
しばし考え込んでいたヒロは、ふと顔を上げると
自分がコーチングと出会った経緯を話した。
そしてあの日感じた思いを口にした。
「これでセミナー受講者のフォローができると思ったんです、
サポートができる、喜んでもらえると思ったんです」と言っていた。
するとこんな言葉が返ってきた。
「そうか、ヒロさんは人を応援し、その人が人生に勝利することが喜びなんだね」
「え?」
ヒロは思わず聞き返していた。
「だってヒロさん、これでサポートができる、喜んでもらえるって言ったでしょう?」
そう…たしかに自分はそう言った。
確かに自分の口からそう言葉が出てきた。
自分で言っておきながら、自分で答えを言っておきながら、
自分ではわかっていなかった。
オレは…僕は…答えを知っているのに、自分で気づいていなかった。
自分で答えを言っているのに、自分で気づいていなかった….。
しばしヒロは沈黙した。
ヒロの心も沈黙した。
そして。
そう!これこそコーチングじゃないか!
自分の答えは自分の中にある!
だけど自分自身が自分の知っている答えに気づいていなかった!
オレは…僕は!人がその人の内にある答えを導き出す!
そのサポートをする!
それが僕のやりたいことだ!
ヒロは新しい目的を見つけた。
父に自分を認めさせること
父と闘って自分を認めさせること。
そんな目的から、新しいやりがい、生きがいのある目的を見つけたのだ。
自分で答えを言っているのに、自分で気づいていなかった 。
そんなことって本当にあるの? 知っていること、わかっていることを口にするんじゃないの?
そう思うのももっともです。
しかし、実際はヒロが体験したように、自分で口にしながら、他人から指摘されるまで、そのことに実は気づいていなかったということがあります。(しかも、結構よくあります)
「あなたが必要とする答えは、あなたの中にある」「しかし、その答えに気づくためには鏡となる他者が必要である」
コーチングを学び始めたときに教えられるコーチングの哲学です。
あなたがすでに自分で答えを言っているのに、誰かに指摘されて、そのことに初めて気づいた。
または、誰かが口にしていることを指摘したら、「私、そんなこと言ってた!?」と、ものすごくビックリされた。
すぐには出てこないかもしれませんが、そんな体験を思い出してみてください。