とあるコーチの物語~The story of a certain coach

第10話「とあるコーチの物語」

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ヒロはコーチングをスクールで学び始めて、
大きく3つの学ぶべき要素があることを知った。

ひとつはコーチングの知識・スキルについて学ぶこと。

基礎概念を学び、知識だけでなく技術やスキル、考え方について学ぶ。

これがひとつめ。

そしてふたつめは自分自身がコーチについてもらって、
コーチングを受けることだった。

実際に自分が受け手になって、
コーチングを受けるクライアントの側を体験するのだ。

早速ヒロはスクールで学ぶ受講生同士でペアになって、
お互いコーチをする側、受ける側をやりはじめた。

お互いが役割を変えながら、練習しながら実践を積んでいく。

自分が受ける側になって気づくことはたくさんあった。

コーチングを受け、質問を受け、答える立場になって、
思うこと、感じることがたくさん出てきた。

こんなとき自分はこんな印象を持つんだ。
こんなふうに思うんだ。

こういう時自分はこんなふうに感じ、こんなふうに反応するんだ。

知識やスキルを机上で学ぶだけではけして見えてこなかったことが、
いくつも出てきた。

受ける立場になってみて、初めてわかることがいくつも出てきた。

それはとても学ぶことの多い体験だった。

だがヒロはあるときから、受講生同士でのコーチングだけでなく、
有料でコーチをつけることにした。

受講生同士で無料でコーチ役とクライアント役をやるだけでなく、
お金を払ってコーチをつけることにしたのだ。

きっかけはミヤモトの一言だった。

それはミヤモトに誘われ、二人で居酒屋で飲んだ時のことだ。

「ヒロはもう有料でコーチはつけたのかい?」

ふいにミヤモトがヒロにそう振ってきた。

「いえ、まだです」とヒロは答えた。

「そうか、ならすぐ有料でコーチを付けたらいいよ」

「え?そうなんですか?」

「そりゃそうさ、全然違うよ」

そしてミヤモトはこう続けた。

「やってみたらわかるよ」

ミヤモトにそう言われ、ヒロはさっそくスクールのスタッフで
コーチを本業でやっている人物に有料でコーチをお願いした。

ミヤモトさんがそう言うなら。
そう思って、我流に走らず、言われたことを言われた通り
コーチャブルにやることにした。

コーチに従う…ということをしたのだ。

有料でコーチをつけてみて….。

ヒロはミヤモトの言っていたことがわかった気がした。

正直とても驚いた。

こんなに違うのか!と。

何が違ったのか?

それはヒロの真剣さ、コミットの違いだった。

それはもう根本的に違った。

相手はプロのコーチだ。

そして自分はお金を払ってプロのコーチをつけているのだ。
自分の真剣さがまるで違った。

なんといっても自分の本当の課題、
テーマを話そうというコミットメントが高まるのと、
自分が言ったことをちゃんとやろうという思いがまるで違うのだ。

受講生同士でコーチングをやっていた時は楽しかった。

だが有料のコーチをつけてわかったのは、
受講生同士でやっていた時には緊張感がなかったということだった。

楽しいけど、どこかなあなあみたいなところがあった。

そして「こんなことに気づいた」と
気づいたことにとても満足していたことに気づいた。

このことを知った時ヒロは、
「こんなことに気づきました」というような気づきで終わっていたら、
お金をどぶに捨ててるのと一緒だなと思った。

この気づきはとても大きかった。

気づいて満足する。
そこで終わってしまう。
それは自己啓発などの世界でよくあることだ。

気づいたらそれでなにかを成し遂げたような気持ちになる。

だがそれはまだ何も生み出してはいないのだ。

そう、気づいただけでは何も生み出していないのだ。

気づきは内面で起こる。

だが外の世界は何も変わっていない。

内面の世界で生まれた気付きを行動という形で
外の世界に働きかける。

すると結果という形で何かが起こる。

そうしてそこから「次」が生まれる。

気づきで終わったら現実は何も変わらない。
そのことに気づかされた。

こんなこと知っているつもりだったし、
わかっているつもりだった。

だがそれはわかっている「つもり」だったことに気づかされた。

有料でコーチをつけて、ヒロは気づきで満足し、
なにかを成し遂げた気になっていた自分に気がついた。

そこが受講生同士で楽しくやるだけの時とは、
大きく違うことだった。

自分に向き合うという部分の真剣さ。

コーチングセッションの中で「これをやってみよう」と思ったことを
本当にやるというということへのコミットメントの高さ。

そこが全く違うことを知った。

「やってみたらわかるよ」とミヤモトが言った意味がよくわかった。

それにしてもミヤモトさんは、余計な説明や説得はしないなと
ヒロはあらためて思った。

有料でやったら、こんなことが違うよ、
こういうところが違うよ、こうこうこうなるよ。
だからやりなさい。

もしこんなふうに言われていたとしたら、
自分はミヤモトが「言葉にした部分」にしか気づけなかっただろう。

だがミヤモトは余計な言葉は話さなかった。

ただ「やってみたらわかるよ」とだけ言った。

そしてやってみて、ヒロはいくつもの気づくことがあった。

今気づいていないことも、これから更に気づいていくのだろう。
きっと気づくことは無限にあるのだ。

こうこうこうなるよ。
だからやりなさいというのはティーチングだ。

それはコーチングではない。

ミヤモトは居酒屋での、あのたった一言で、
コーチングの奥深さに気づくように導いてくれたのだ。

ヒロはこうしてスクールで学びながらコーチをつけた。

これが2つ目に学んだことだ。

そして3つ目。

実はこの3つ目を初めて聞いたときにはちょっと驚いた。

3つ目、それはすぐに自分のクライアントを持って、
コーチングを始めるということだった。

すぐにクライアントを持ちなさい。
そう言われたのだ。

初めてこれを言われたときには、内面でいろんな声が湧いてきた。

葛藤が生まれた。

え!?いやいやちょっと待ってよ。

まだ学び始めたばかりじゃないか。
まだ早いよ。

そんなのいいの?

ちゃんとできないかもしれないじゃない。
っていうか自信がないし。

それにクライアントを持つって言ったって、
まだ始めたばかりでろくに技術も経験も身についていないのに、
中途半端なものを提供するのは良くないんじゃないか???

そんな思いが次々と浮かんできた。

スクール側のこの提案には、抵抗を持つ人は実際に何人かいた。

彼らは「自信がない。」

「まだ早い。」

「もっと技術や実績を積んでからの方がいいのでは?」と言った。

彼らの気持ちはもっともだとヒロも思った。

そう思うのは自然の発想だと。

ヒロ自身、そう感じたからだ。

が、ヒロは自分が会社に入って営業を始めたときのことを思い出した。

営業の仕事ははじめ、先輩についていって、
どんなふうに話すのか、どんなふうに営業をするのかを観て学ぶ。

が、営業の力を身につけるには実際には営業をすることが必要だった。

経験し、経験しながら身につけていくしかないのだ。

「それと同じなんだな」とヒロは了解した。

クルマの運転も同じだ。

どんなに教本を読んでブレーキの踏み方やギアの変え方を学んでも、
実際にクルマは操作しなければ動かない。

本を読んでも、話を聞いてもクルマを動かすことはできないのだ。

これは当たり前のことと言えば当たり前のことだ。

だけどこの一見当たり前のこのことが、実は世の中では必ずしも
当たり前ではないことをヒロは感じた。

やってみないとけしてわからないことを、
本を読んだり、話を聞くだけでなぜか人はわかったような気になるのだ。

クライアント持つという件に関しては、
元同僚がすぐに話に乗ってくれた。

実はクライアントを見つけるのは難しくなかった。

ヒロはコーチングの本を読んでから、
コーチングこそが自分が探していたものだと思っていたからだ。

これならうちの社のセミナーを受けた人たちが、
セミナー後モチベーションが下がることのフォローができる。

うちの社の受講者たちの役に立つ。
きっと喜んでもらえるという思いがあった。

だからヒロは「コーチングを勉強しているんですよ」
「コーチング、ほんとにいいですよ!」と普段から言っていた。

本当にそう思っていたから、
ヒロには営業しているという思いもなかった。

いいとホントに思っているから、
ほんとにいいですよと自然に言っていた。

だからヒロの話を聞く人たちもまた、みな好印象だった。

「へぇーそうなんだ」
「面白そうだね」とみな関心を持ってくれた。

だからモニターになってくれませんか?
という声をかけるのもなんの苦もなかった。

相手も自分に役立つと思い、
喜んでモニターになってくれた。

それはそうだ。
自分の役に立ちそうなことをモニターで体験できるのだ。

自分だってモニターになってくれませんか?と
言われたとしたら喜んでYESと言うだろう。

最初はモニターになってもらった人たちには、無料でやらせてもらった。

そして何度かやっているうちに数千円だがいただくようになっていった。

ヒロには友人・知人にモニターになってもらう以前から、よい経験があった。

ヒロは営業先でよく経営者たちの話を聞かせてもらった。

ヒロは彼らの話が好きだった。

ヒロの好きなテレビ番組で、経営者たちがどのようにして、
ビジネスを立ち上げ、壁を乗り越え、目標を達成してきたか、
経営者たちが語る実話の番組があった。

ヒロはその番組が大好きだった。

それを生の話でリアルで、経営者の口から直接聞けるのだ。

生の話をライブで聞けるのだ。

こんな面白いことはない!

ヒロは経営者たちの話が面白くて、毎回楽しみに聞いていた。

ヒロは話が面白いから聞いていた。

嬉しいのはヒロの方だった。

ところがだ。
話をしてくれた経営者たちがいつも喜んでくれた。

誰だって自分の話に関心を持って聞いてもらったら嬉しいものだ。

それはわかる。

自分だって、自分の話に関心を持って耳を傾けてもらったら嬉しい。

だが、ヒロはそれ以外のことも経験していた。

ヒロは経営者たちの話に関心を持って聞いていただけなのに、
なぜか話が終わるころ、経営者たちから感謝されてきたのだ。

ありがとう!

そう言われる度にヒロは不思議な感じがしていた。

いや、ありがとうと言わなければならないのは自分の方だ。
こんな面白い話を、それも無料でしてもらったんだから。

いつもそう思っていた。

だが多くの経営者がヒロに「話を聞いてくれてありがとう」と言った。

そしてこう結んだ。
「君のおかげで頭の中が整理できたよ」と。

ヒロは自分がなにをやってきたのかにようやく気付いた。

自分は経営者の話に関心を持ち、彼らの話を傾聴していたのだ。

そうして彼らは自らの内にある答えを、
自ら自然に導き出していたのだ。

ヒロは意図せずとも、相手の内にある答えを
相手の話を聞くことで導き出していたのだ。

これが「聞くことの力」なのだとヒロは思った。

ミヤモトはあのバーで言っていた。

「人の話を聴くなんて、誰でもできることだと多くの人は考える」

だけどそうではないのだと。

そういえば中学生の頃だったか読んだ本にこんなことが書いてあった。

あれは確か童話作家のミヒャエル・エンデの「モモ」という本だったか。

こんなくだりが出てくる。

ある街の外れにモモという少女が住み着くようになる。

街の人たちとモモは仲良くなり、やがて街の人々はなにか問題が起こると
モモのところに相談に行くようになる。

不思議なことにモモのところに相談に行った人たちはみな、問題が解決する。

喧嘩している者同士が相談に行くと仲直りする。

魔法のようにいつも問題は解決するのだ。

モモはいったい彼らになにをしているのだろう?

実はモモは彼らの話を聞くだけなのだ。
モモは彼らの話をただ聞くだけなのだが、それで問題は解決するのだ。

エンデは「モモ」という作品の中で言う。

「なんだ人の話を聞くだけなら、
誰でもできることじゃないかと多くの人は思うだろう」

「だが、本当に人の話を聞くことのできる人は多くないのだ」と。

モモがやっていたことと、自分は同じことをしていたんだ。
それとは知らずに。

自分がやっていたのは、相手の話に関心を持って、
相手の話を聞くことだった。

それが実はどれだけすごいことなのか。
今まで考えたこともなかったのだ。

ただ人の話を聞く。

相手の話に関心を持ってただ聞く。

シンプルなことの中に真理があることをヒロは感じた気がした。


Quest_10:「聴き上手」な人は、相手の話を聴くときにどこに意識を向けているでしょうか? 

ミヒャエル・エンデの「モモ」 の話が本文に出てきましたが、 エンデの言う通り「本当に人の話を聴くことのできる人」は多くありません。

では、モモのような聴くことの達人は、相手の話を聴くときに、どこに意識を向けているのでしょうか?

あなたの周りに「聴き上手」と言われる人がいたら、その人がどんな聴き方をしているのか、観察してみてください。

身近に「聴き上手」な人が思いつかない場合は、想像でも構いませんので、「聴き上手」と言われる人たちの特徴や聴き方を考えてみてください。